「筑摩級軽巡洋艦 (日本海軍, 1911)」の版間の差分

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2019年2月23日 (土) 03:05時点における最新版

筑摩級軽巡洋艦(ちくまきゅう・けいじゅんようかん Chikuma class light cruisers

概説

 日露戦争の終結は、軍備拡張の終焉を意味しなかった。むしろ日露戦争の戦訓により海軍艦艇に大きな技術的変革があらわれ、次々に新式艦艇が実現化されていった結果、海軍軍備に関する技術的競争は数段激しくなったのである。そのひとつが、大型艦艇に採用されはじめていたタービン機関の採用だった。タービン機関は軽量大馬力で振動も少なく、これまでのレシプロ機関に比べて加減速が比較的容易であるなど、利点が多かった。そこで日本海軍ではより高速を必要としている巡洋艦にタービン機関を採用することにした。こうして建造されたのが筑摩級である。筑摩級の眼目は小型巡洋艦に大馬力のタービン機関を採用する、ということにつきた。したがって、兵装などにはとりたてての新味はない。特に、その防禦要領についてはこれまでの防護巡洋艦の手法をそのまま用いていた。明らかに過渡期にあったと言えるだろう。ただ、タービン機関の馬力を生かして26ノットの高速を発揮するため、それまでの巡洋艦に比して著しく細長い船型を採用していることは注目に値する。既述の通り、本級はタービン機関の実験艦としての意味合いが強い。それを如実に示しているのは、矢矧にはカーチス式、平戸および筑摩にはパーソンズ式と違った形式のタービンを導入してその使用実績を比較検討しようとしたことである。その成績はいずれも良好で、計画速力の26ノットをかなり上回っていた。しかし時代はすでに本級の直結式タービンから減速歯車を介するギアード・タービンの時代に移りつつあり、直結式タービンを採用した巡洋艦は日本では本級が最初で最後となった。筑摩級は就役後の成績も良好で、大正前半期には小型巡洋艦の主力として活動し、第一次大戦では太平洋やインド洋海域の警備にも従事したが、大正後半以降より大型高速な軽巡洋艦がぞくぞくと就役するに至って次第に二線級となり、昭和6年には筑摩が除籍された。残る2隻は支那事変初期まで在役していたが昭和15年にそろって除籍されている。

主要要目

排水量: 常備 5000t, 満載 5040t
長さ: 垂線間長 134.1m, 全長 144.8m
全幅: 14.2m
喫水: 5.1m
機関: (筑摩, 平戸) 2軸 カーチス式タービン(単式) 2基, イ号艦本式缶 16基 (混焼), 22,500shp
(矢矧) 2軸 パーソンズ式タービン(高低圧) 2基, イ号艦本式缶 16基 (混焼), 22,500shp
燃料: 石炭 1128t, 重油 300t (筑摩のみ)
速力: 26ノット
航続力: 10,000海里/10ノット
装甲: 水線帯 50-88mm, 甲板 37-57mm, 司令塔 100mm
兵装: 15.2cm/45口径砲 8門, 8cm/50口径砲 4門, 機関銃 2挺, 53cm魚雷発射管 3門
乗員: 414

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明40 筑摩 Chikuma 佐世保工廠 1909.04.01 1911.04.01 1912.05.17 二等巡洋艦 1931.04.01 除籍
明40 平戸 Hirado 川崎神戸 1910.08.10 1911.06.29 1912.06.17 二等巡洋艦 1940.04.01 除籍
明40 矢矧 Yahagi 三菱長崎 1910.06.20 1911.10.03 1912.07.27 二等巡洋艦 1940.04.01 除籍