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'''樺山資紀'''(かばやま・すけのり、天保8年11月20日(1837年12月17日) - 大正11(1922)年2月8日)は、日本の政治家、[[陸軍軍人 (日本)|陸軍軍人]]、[[海軍軍人 (日本)|海軍軍人]]。[[陸軍少将 (日本)|陸軍少将]]、[[海軍大将 (日本)|海軍大将]]。鹿児島県出身。
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[[樺山資紀]](かばやま・すけのり、天保8年11月20日(1837年12月17日) - 大正11(1922)年2月8日)は、日本の政治家、[[陸軍軍人 (日本)|陸軍軍人]]、[[海軍軍人 (日本)|海軍軍人]]。[[陸軍少将 (日本)|陸軍少将]]、[[海軍大将 (日本)|海軍大将]]。[[鹿児島県]]出身。
 
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==履歴==
 
==履歴==
* 明治4年9月27日(1871.11.9)、任'''[[陸軍少佐 (日本)|陸軍少佐]]'''。
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* 明治5年3月9日(1872.4.16)、陸軍大弐心得。
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* 明治7(1874)年10月10日、任'''[[陸軍中佐 (日本)|陸軍中佐]]'''。
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* 明治8(1875)年2月23日、[[陸軍省 (日本)|陸軍省]]第二局次長。
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|天保8(1837)年11月20日||||||生
* 明治9(1876)年11月9日、[[熊本鎮台 (日本陸軍)|熊本鎮台]]参謀長。
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* 明治11(1878)年11月21日、任'''[[陸軍大佐 (日本)|陸軍大佐]]'''。
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|明治4(1871)年9月27日||[[陸軍少佐 (日本)|陸軍少佐]]||||
* 明治11(1878)年12月28日、補[[近衛参謀長 (日本陸軍)|近衛参謀長]]
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* 明治13(1880)年10月23日、任[[大警視]]。([[近衛参謀長 (日本陸軍)|近衛参謀長]][[大警視]]
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|明治5(1872)年3月9日||||||[[陸軍大弐 (日本)|陸軍大弐]]心得
* 明治14(1881)年2月7日、任'''[[陸軍少将 (日本)|陸軍少将]]'''。任[[警視総監]]
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* 明治16(1883)年12月13日、任[[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]]
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|明治7(1874)年10月10日||[[陸軍中佐 (日本)|陸軍中佐]]||||
* 明治17(1884)年2月6日、任'''[[海軍少将 (日本)|海軍少将]]'''。
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* 明治17(1884)年7月7日、特旨をもって華族に列せられ、子爵を賜る。
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|明治8(1875)年2月23日||||||[[陸軍省 (日本)|陸軍省]]第二局次長
* 明治18(1885)年6月29日、任'''[[海軍中将 (日本)|海軍中将]]'''。
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* 明治19(1886)年1月29日、補[[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長。([[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]][[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長)
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|明治9(1876)年11月9日||||||[[熊本鎮台 (日本陸軍)|熊本鎮台]]参謀長
* 明治19(1886)年2月4日、兼補[[海軍将官会議 (日本海軍)|海軍将官会議]]議員。([[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]][[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長兼[[海軍将官会議 (日本海軍)|海軍将官会議]]議員)
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* 明治19(1886)年4月1日、免[[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]]。任[[海軍次官 (日本)|海軍次官]]。免兼[[海軍将官会議 (日本海軍)|海軍将官会議]]議員。([[海軍次官 (日本)|海軍次官]][[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長)
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|明治11(1878)年11月21日||[[陸軍大佐 (日本)|陸軍大佐]]||||
* 明治19(1886)年6月15日、免[[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長。([[海軍次官 (日本)|海軍次官]]
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* 明治20(1887)年9月25日、命欧米各国出張。
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|明治11(1878)年12月28日||||||[[近衛参謀長 (日本陸軍)|近衛参謀長]]
* 明治21(1888)年10月19日、帰朝。
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* 明治23(1890)年5月17日、任[[海軍大臣 (日本)|海軍大臣]]
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|明治13(1880)年10月23日||||||[[近衛参謀長 (日本陸軍)|近衛参謀長]][[大警視]]
* 明治25(1892)年8月8日、予備役被仰付。任[[枢密顧問官]]
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* 明治27(1894)年7月18日、特旨をもって現役に復帰せらる。補[[海軍軍令部長 (日本海軍)|海軍軍令部長]][[海軍将官会議 (日本海軍)|海軍将官会議]]議員。
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|明治14(1881)年2月7日||[[陸軍少将 (日本)|陸軍少将]]||||[[警視総監]]
* 明治28(1895)年5月10日、任'''[[海軍大将 (日本)|海軍大将]]'''。任[[台湾総督 (日本)|台湾総督]]
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* 明治28(1895)年8月5日、日清戦争の功績により伯爵に陞叙せらる。
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|明治16(1883)年12月13日||||||[[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]]
* 明治29(1896)年6月2日、任[[枢密顧問官]]
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* 明治29(1896)年9月20日、任[[内務大臣]]
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|明治17(1884)年2月6日||[[海軍少将 (日本)|海軍少将]]||||
* 明治31(1898)年1月12日、免[[内務大臣]]
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* 明治31(1898)年11月8日、任[[文部大臣]]
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|明治17(1884)年7月7日||||[[子爵 (日本)|子爵]]||
* 明治33(1900)年10月19日、免[[文部大臣]]
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* 明治37(1904)年10月21日、任[[枢密顧問官]]
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|明治18(1885)年6月29日||[[海軍中将 (日本)|海軍中将]]||||
* 明治38(1905)年11月20日、後備役被仰付。
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* 明治43(1910)年11月20日、退役被仰付。
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|明治19(1886)年1月29日||||||[[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]][[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長
* 大正11(1922)年2月8日、薨去。特に従一位に叙せらる。叙[[大勲位菊花大綬章]]
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|明治19(1886)年2月4日||||||[[海軍大輔 (日本)|海軍大輔]][[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長/[[海軍将官会議 (日本海軍)|海軍将官会議]]議員
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|明治19(1886)年4月1日||||||[[海軍次官 (日本)|海軍次官]][[海軍省 (日本)|海軍省]]軍務局長
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|明治19(1886)年6月15日||||||[[海軍次官 (日本)|海軍次官]]
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|明治20(1887)年9月25日||||||欧米各国出張
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|明治21(1888)年10月19日||||||帰朝
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|明治23(1890)年5月17日||||||[[海軍大臣 (日本)|海軍大臣]]
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|明治25(1892)年8月8日||予備役||||[[枢密顧問官 (日本)|枢密顧問官]]
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|明治27(1894)年7月18日||現役復帰||||[[海軍軍令部長 (日本海軍)|海軍軍令部長]][[海軍将官会議 (日本海軍)|海軍将官会議]]議員
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|明治28(1895)年5月10日||[[海軍大将 (日本)|海軍大将]]||||[[台湾総督 (日本)|台湾総督]]
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|明治28(1895)年8月5日||||[[伯爵 (日本)|伯爵]]||
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|明治29(1896)年6月2日||||||[[枢密顧問官 (日本)|枢密顧問官]]
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|明治29(1896)年9月20日||||||[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]
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|明治31(1898)年1月12日||||||免[[内務大臣 (日本)|内務大臣]]
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|明治31(1898)年11月8日||||||[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]
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|明治33(1900)年10月19日||||||免[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]
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|明治37(1904)年10月21日||||||[[枢密顧問官 (日本)|枢密顧問官]]
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|明治38(1905)年11月20日||後備役||||
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|明治43(1910)年11月20日||退役||||
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|大正11(1922)年2月8日||||[[大勲位菊花大綬章]]||死去 (84)
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==在任==
 
==在任==
 
* [[海軍大臣 (日本)|海軍大臣]] (第一次山縣内閣、1890.5.17-1891.5.6)
 
* [[海軍大臣 (日本)|海軍大臣]] (第一次山縣内閣、1890.5.17-1891.5.6)

2014年11月14日 (金) 10:22時点における版

樺山資紀(かばやま・すけのり、天保8年11月20日(1837年12月17日) - 大正11(1922)年2月8日)は、日本の政治家、陸軍軍人海軍軍人陸軍少将海軍大将鹿児島県出身。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
天保8(1837)年11月20日
明治4(1871)年9月27日 陸軍少佐
明治5(1872)年3月9日 陸軍大弐心得
明治7(1874)年10月10日 陸軍中佐
明治8(1875)年2月23日 陸軍省第二局次長
明治9(1876)年11月9日 熊本鎮台参謀長
明治11(1878)年11月21日 陸軍大佐
明治11(1878)年12月28日 近衛参謀長
明治13(1880)年10月23日 近衛参謀長大警視
明治14(1881)年2月7日 陸軍少将 警視総監
明治16(1883)年12月13日 海軍大輔
明治17(1884)年2月6日 海軍少将
明治17(1884)年7月7日 子爵
明治18(1885)年6月29日 海軍中将
明治19(1886)年1月29日 海軍大輔海軍省軍務局長
明治19(1886)年2月4日 海軍大輔海軍省軍務局長/海軍将官会議議員
明治19(1886)年4月1日 海軍次官海軍省軍務局長
明治19(1886)年6月15日 海軍次官
明治20(1887)年9月25日 欧米各国出張
明治21(1888)年10月19日 帰朝
明治23(1890)年5月17日 海軍大臣
明治25(1892)年8月8日 予備役 枢密顧問官
明治27(1894)年7月18日 現役復帰 海軍軍令部長海軍将官会議議員
明治28(1895)年5月10日 海軍大将 台湾総督
明治28(1895)年8月5日 伯爵
明治29(1896)年6月2日 枢密顧問官
明治29(1896)年9月20日 内務大臣
明治31(1898)年1月12日 内務大臣
明治31(1898)年11月8日 文部大臣
明治33(1900)年10月19日 文部大臣
明治37(1904)年10月21日 枢密顧問官
明治38(1905)年11月20日 後備役
明治43(1910)年11月20日 退役
大正11(1922)年2月8日 大勲位菊花大綬章 死去 (84)

在任