東條明次

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東條明次(とうじょう・あきつぐ Tojo Akitsugu 明治4年12月15日(1872年1月24日) - 昭和7(1932)年5月7日)は、日本の海軍軍人海軍少将徳島県出身。海軍兵学校第21期生(34名中13位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治4年12月15日(1872年1月24日)
明治27(1894)年11月15日 海軍少尉候補生 橋立乗組
明治28(1895)年12月27日 海軍少尉 筑波分隊士
明治29(1896)年5月11日 高千穂乗組
明治30(1897)年1月26日 海軍水雷術練習所学生
明治30(1897)年6月16日 高雄乗組
明治30(1897)年12月1日 海軍中尉
明治31(1898)年6月9日 八島乗組
明治31(1898)年11月2日 敷島回航委員(連合王国出張)
明治32(1899)年7月25日 敷島乗組
明治32(1899)年9月29日 海軍大尉
明治32(1899)年10月6日 敷島分隊長
明治33(1900)年4月17日 帰着
明治34(1901)年6月7日 海軍水雷術練習所教官/分隊長
明治36(1903)年11月5日 厳島水雷長
明治36(1903)年11月20日 厳島水雷長/分隊長
明治37(1904)年5月2日 厳島水雷長
明治37(1904)年5月8日 厳島水雷長/分隊長
明治37(1904)年12月27日 横須賀海軍工廠艤装委員
明治38(1905)年4月15日 横須賀海軍工廠艤装委員/戦時大本営
明治38(1905)年6月20日 横須賀海軍工廠艤装委員
明治38(1905)年8月1日 第一潜水艇隊艇長
明治38(1905)年8月5日 海軍少佐
明治38(1905)年12月12日 韓崎丸分隊長/第一潜水艇隊艇長
明治39(1906)年1月25日 第一潜水艇隊艇長
明治39(1906)年2月24日 第一潜水艇隊司令/艇長
明治39(1906)年3月20日 第一潜水艇隊艇長
明治39(1906)年9月28日 磐手水雷長/分隊長
明治40(1907)年2月9日 海軍軍令部副官
明治40(1907)年2月15日 海軍軍令部副官/元帥副官(元帥大将伊東祐亨附属)
明治40(1907)年10月30日 第一潜水艇隊司令/艇長
明治41(1908)年12月23日 第三潜水艇隊艇長/横須賀海軍工廠艤装員
明治42(1909)年4月2日 第三潜水艇隊艇長
明治42(1909)年4月17日 第二潜水艇隊艇長
明治42(1909)年12月1日 呉予備艦隊副官
明治43(1910)年3月19日 海軍中佐
明治43(1910)年4月9日 笠置副長
明治44(1911)年4月1日 海軍水雷学校教官
大正2(1913)年12月1日 薩摩副長
大正3(1914)年12月1日 海軍大佐
大正5(1916)年11月6日 大湊要港部参謀長
大正7(1918)年10月18日 朝鮮総督府附武官
大正8(1919)年8月20日 佐世保鎮守府附/朝鮮総督府御用掛
大正8(1919)年12月1日 海軍少将 待命被仰付
大正9(1920)年8月1日 予備役被仰付
昭和2(1927)年12月15日 後備役被仰付
昭和7(1932)年5月7日 死去 (70)