有馬寛

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有馬寛(ありま・ゆたか Arima Yutaka 明治18(1885)年 - 昭和26(1951)年1月31日)は、日本の海軍軍人海軍中将和歌山県出身。海軍兵学校第33期生(171名中4位)、海軍大学校第14期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治18(1885)年
明治38(1905)年11月28日 海軍少尉候補生 厳島乗組
明治39(1906)年8月30日 浅間乗組
明治39(1906)年12月20日 海軍少尉
明治40(1907)年8月5日 橋立乗組
明治41(1908)年8月6日 横須賀鎮守府
明治41(1908)年9月4日 音羽乗組
明治41(1908)年9月25日 海軍中尉
明治41(1908)年12月23日 橋立乗組
明治42(1909)年1月20日 海軍砲術学校普通科学生
明治42(1909)年4月30日 海軍水雷学校普通科学生
明治42(1909)年8月5日 練習艇隊
明治43(1910)年4月1日 呉海軍工廠艤装員
明治43(1910)年7月16日 安芸乗組/呉海軍工廠艤装員
明治43(1910)年9月1日 安芸分隊長心得
明治43(1910)年12月1日 海軍大尉 海軍大学校乙種学生
明治44(1911)年5月22日 海軍砲術学校高等科学生
明治44(1911)年12月1日 安芸分隊長
大正元(1912)年12月1日 摂津分隊長
大正2(1913)年12月1日 練習艦隊参謀
大正3(1914)年8月18日 第二艦隊参謀
大正3(1914)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正5(1916)年12月1日 海軍少佐 佐世保鎮守府参謀
大正6(1917)年5月2日 ロシア帝国駐在被仰付
大正6(1917)年6月1日 ロシア帝国駐在被仰付/在ロシア帝国大使館附海軍武官補佐官
大正6(1917)年12月9日 海軍軍令部出仕/参謀
大正9(1920)年11月15日 第二戦隊参謀
大正9(1920)年12月1日 海軍中佐
大正10(1921)年11月20日 春日副長
大正11(1922)年7月25日 横須賀鎮守府
大正11(1922)年12月1日 皇族附武官/軍事参議官副官(大将博恭王附属)
大正13(1924)年2月5日 皇族附武官(博恭王附)/佐世保鎮守府
大正13(1924)年12月1日 海軍大佐 横須賀鎮守府
大正14(1925)年4月15日 海軍軍令部参謀(三班六課長)
昭和2(1927)年6月10日 木曽艦長
昭和2(1927)年11月15日 古鷹艦長
昭和3(1928)年12月10日 舞鶴要港部参謀長
昭和4(1929)年5月1日 在ソ連邦帝国大使館附海軍武官
昭和5(1930)年12月1日 海軍少将
昭和6(1931)年5月1日 命帰朝
昭和6(1931)年9月1日 海軍軍令部出仕
昭和6(1931)年12月1日 海軍大学校教頭
昭和7(1932)年12月1日 佐世保海軍艦船部
昭和9(1934)年11月15日 海軍中将 海軍軍令部出仕
昭和9(1934)年12月10日 待命被仰付
昭和9(1934)年12月15日 予備役被仰付
昭和26(1951)年1月31日 死去 (65)