小栗孝三郎

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小栗孝三郎(おぐり・こうざぶろう Oguri Kozaburo 慶応4年8月4日(1868年9月19日) - 昭和19(1944)年10月27日)は、日本の海軍軍人海軍大将石川県出身。海軍兵学校第15期生(80名中5位)、海軍大学校将校科甲種第2期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
慶応4年8月4日(1868年9月19日)
明治22(1889)年4月20日 海軍少尉候補生 金剛乗組
明治23(1890)年3月14日 高千穂乗組
明治23(1890)年7月9日 海軍少尉 武蔵分隊士
明治25(1892)年5月23日 迅鯨乗組(水雷術練習)
明治25(1892)年10月20日 待命被仰付
明治25(1892)年12月21日 海軍大学校丙号学生
明治26(1893)年12月19日 松島分隊士
明治27(1894)年2月22日 佐世保鎮守府海兵団分隊長心得
明治27(1894)年6月23日 比叡分隊長心得
明治27(1894)年12月7日 海軍大尉 比叡分隊長
明治28(1895)年9月6日 西海艦隊参謀
明治28(1895)年11月16日 磐城航海長
明治29(1896)年4月1日 天龍航海長
明治29(1896)年9月11日 天龍航海長/分隊長
明治29(1896)年9月28日 常備艦隊参謀
明治31(1898)年2月22日 海軍省軍務局軍事課課僚
明治32(1899)年3月22日 海軍大学校甲種学生
明治32(1899)年9月29日 海軍少佐
明治33(1900)年6月19日 常備艦隊参謀
明治33(1900)年12月6日 海軍大学校甲種学生
明治34(1901)年5月24日 待命被仰付
明治34(1901)年6月7日 海軍省副官/海軍大臣秘書官
明治34(1901)年10月15日 海軍省副官/海軍大臣秘書官/海軍大学校教官
明治35(1902)年6月21日 海軍省副官/海軍大臣秘書官
明治36(1903)年2月3日 連合王国駐在被仰付
明治36(1903)年9月26日 海軍中佐
明治37(1904)年4月9日 帰朝
明治37(1904)年4月18日 海軍軍令部参謀/戦時大本営参謀
明治37(1904)年6月8日 連合王国駐在被仰付
明治37(1904)年11月28日 帰朝
明治37(1904)年12月8日 横須賀海軍工廠艤装委員
明治38(1905)年8月1日 第一潜水艇隊司令/艇長
明治39(1906)年2月24日 連合王国駐在被仰付
明治39(1906)年6月12日 命帰朝
明治39(1906)年8月30日 韓崎艦長
明治40(1907)年7月1日 待命被仰付
明治40(1907)年9月28日 海軍大佐
明治40(1907)年10月10日 休職被仰付
明治41(1908)年2月26日 鈴谷艦長
明治41(1908)年5月15日 音羽艦長/鈴谷艦長
明治41(1908)年7月11日 待命被仰付
明治42(1909)年1月19日 休職被仰付
明治42(1909)年2月20日 水路部測器科長
明治42(1909)年10月25日 待命被仰付
明治43(1910)年4月13日 休職被仰付
明治43(1910)年10月12日 海軍省出仕
明治44(1911)年3月23日 海軍省副官
明治44(1911)年12月1日 香取艦長
大正元(1912)年12月1日 海軍艦政本部第一部長
大正2(1913)年5月24日 海軍少将
大正3(1914)年4月17日 待命被仰付
大正3(1914)年5月29日 海軍省出仕
大正3(1914)年8月15日 在連合王国帝国大使館附海軍武官/造船造兵監督官
大正4(1915)年12月25日 命帰朝
大正5(1916)年6月23日 海軍省軍務局長/海軍将官会議議員
大正5(1916)年12月1日 第六戦隊司令官
大正6(1917)年2月7日 第一特務艦隊司令官
大正6(1917)年6月1日 海軍中将
大正6(1917)年12月12日 呉海軍工廠
大正8(1919)年11月8日 海軍将官会議議員
大正9(1920)年12月1日 第三艦隊司令長官
大正10(1921)年12月1日 舞鶴鎮守府司令長官
大正12(1923)年4月1日 海軍将官会議議員
大正12(1923)年8月3日 海軍大将
大正12(1923)年12月1日 待命被仰付
大正13(1924)年2月25日 予備役被仰付
昭和8(1933)年8月4日 後備役被仰付
昭和13(1938)年8月4日 退役被仰付
昭和19(1944)年10月27日 死去 (76)