「小松宮彰仁親王」の版間の差分

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小松宮彰仁親王(こまつのみや・あきひとしんのう、弘化3年正月16日(1846年2月11日) - 明治36(1903)年2月18日)は、日本の皇族陸軍軍人元帥陸軍大将伏見宮邦家親王八男。母は家女房堀内信子仁孝天皇の養子。明治3年正月29日(1870年3月1日)、東伏見宮を称す。明治15(1882)年12月28日、小松宮家創設。

履歴

  • 慶応4年正月3日(1868.1.27)、軍事総裁。
  • 慶応4年正月18日(1868.2.11)、海陸軍務総督。
  • 慶応4年2月10日(1868.3.3)、軍防事務局督。
  • 慶応4年閏4月21日(1868.6.11)、軍務官知事。
  • 慶応4年6月14日(1868.8.2)、会津征討越後口総督。
  • 明治元年11月4日(1868.12.17)、凱旋。
  • 明治2年7月8日(1869.8.15)、兵部卿。
  • 明治2年12月23日(1870.1.24)、辞。
  • 明治3年10月7日(1870.10.31)、英国留学。
  • 明治3年12月9日(1871.1.29)、議定。
  • 明治6(1873)年11月15日、帰国。
  • 明治6(1873)年11月25日、任陸軍少尉
  • 明治7(1874)年2月23日、佐賀征討総督。
  • 明治7(1874)年3月27日、凱旋。
  • 明治7(1874)年9月13日、任陸軍少将
  • 明治9(1876)年6月13日、陸軍戸山学校長。
  • 明治9(1876)年12月18日、陸軍戸山学校長・議定官。
  • 明治10(1877)年3月16日、東京鎮台司令長官。
  • 明治10(1877)年5月29日、新撰旅団司令長官。
  • 明治10(1877)年10月11日、凱旋。
  • 明治11(1878)年8月26日、東部検閲使。
  • 明治13(1880)年3月1日、任陸軍中将近衛都督
  • 明治15(1882)年12月7日、叙大勲位菊花大綬章小松宮彰仁親王と改名。
  • 明治19(1886)年8月11日、欧州差遣。
  • 明治20(1887)年12月5日、近衛都督(帰国)。
  • 明治23(1890)年6月7日、任陸軍大将
  • 明治24(1891)年12月24日、近衛師団長。
  • 明治26(1893)年11月22日、近衛師団長・議定官。
  • 明治28(1895)年1月26日、参謀総長
  • 明治28(1895)年3月16日、征清大総督。
  • 明治28(1895)年5月23日、凱旋。
  • 明治28(1895)年8月5日、叙大勲位菊花章頚飾
  • 明治31(1898)年1月20日、元帥の称号を賜る。免補参謀総長
  • 明治35(1902)年4月15日、英国皇帝戴冠式差遣。
  • 明治36(1903)年2月18日、薨去(享年58/満57)。国葬を賜る。

在任

  • 小松宮家当主 (1882-1903)
    • 前任: なし(新設)
    • 後任: なし(絶家)

親族

尊属

配偶

  • 有馬頼子 嘉永 5年 6月18日~大正 3(1914)年 6月26日。明治 2年11月 6日結婚。

  伏見宮邦家親王第八王子(母 堀内嗣善女家女房堀内信子)
  弘化三年(一八四六)  正月十六日    誕生 豐宮(ながのみや)
  嘉永元年(一八四八)  正月廿七日    仁和寺附弟
              四月五日     仁孝天皇養子
                廿二日    相續
  嘉永五年(一八五二)  八月十日     内々入寺
  安政五年(一八五八)  三月廿三日    賜名嘉彰
              三月廿七日    親王宣下 勅別當右大臣德大寺公純
              九月廿五日    入仁和寺 落飾 法名純仁
  安政六年(一八五九)  十二月十七日   一品
  慶應三年(一八六七)  十二月八日    議定
                 九日    還俗
                 同日    辭一品 更二品
                 十五日   稱仁和寺宮
                 十六日   復名嘉彰
  慶應四年(一八六八)  正月四日     征討大將軍
                十七日    海陸軍務總督
              二月三日     軍防事務局督
              三月十七日    元服
              閏四月廿二日   軍務知事
              六月十四日    越後口總督
  明治元年(一八六八)  十二月九日    議定
  明治二年(一八六九)  七月八日     兵部卿
  明治三年(一八七○)  正月廿九日    賜東伏見宮稱號
              閏十月十二日   英國留學
  明治五年(一八七二)  十月廿六日    歸朝
  明治七年(一八七四)  二月廿三日    征討總督(佐賀の乱)
  明治八年(一八七五)  十二月卅一日   勳一等
  明治十年(一八七七)           賞勳局議定官
  明治十四年(一八八一) 一月十九日    世襲皇族被列
  明治十五年(一八八二) 十二月七日    大勳位
                 廿八日   改稱小松宮 改名彰仁
  明治十七年(一八八四)          近衞都督
  明治廿三年(一八九○) 六月七日     陸軍大將
                       近衞師團長
  明治廿八年(一八九五) 一月廿六日    參謀總長
              三月十六日    征淸大總督
  明治卅一年(一八九八) 一月廿日     元帥
  明治卅六年(一九○三) 二月十八日    薨去
                廿六日    葬豐島岡墓地(國葬)