加藤定吉

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加藤定吉(かとう・さだきち Kato Sadakichi 文久元年11月18日(1861年12月19日) - 昭和2(1927)年9月5日)は、日本の海軍軍人海軍大将東京府出身。海軍兵学校第10期生(27名中1位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
文久元年11月18日(1861年12月19日)
明治16(1883)年10月15日 海軍少尉補 海軍兵学校学術課程卒業
明治16(1883)年11月21日 龍驤乗組
明治17(1884)年10月10日 浅間砲術練習課程卒業
明治18(1885)年1月7日 海軍兵学校復帰
明治18(1885)年12月24日 海軍兵学校修学課程卒業
明治18(1885)年12月28日 待命被仰付
明治19(1886)年2月23日 長浦水雷営在勤
明治19(1886)年4月7日 海軍少尉
明治19(1886)年6月16日 迅鯨乗組
明治19(1886)年11月22日 高千穂分隊士
明治20(1887)年4月9日 比叡分隊長心得
明治20(1887)年6月27日 比叡水雷長心得/分隊長心得
明治22(1889)年4月12日 比叡分隊長心得
明治22(1889)年5月15日 佐世保鎮守府司令長官伝令使心得
明治22(1889)年8月28日 海軍大尉
明治22(1889)年8月29日 佐世保鎮守府司令長官伝令使
明治24(1891)年7月3日 高雄分隊長
明治24(1891)年7月23日 高雄分隊長/砲術長
明治25(1892)年5月23日 高雄水雷長
明治26(1893)年3月13日 待命被仰付
明治26(1893)年3月21日 博恭王殿下独国御留学中殿下附(ドイツ帝国出張)
明治28(1895)年10月28日 帰朝
明治28(1895)年10月29日 厳島水雷長
明治28(1895)年12月21日 常備艦隊参謀
明治30(1897)年8月27日 海軍大臣秘書官
明治30(1897)年12月1日 海軍少佐
明治30(1897)年12月27日 海軍中佐
明治31(1898)年1月28日 元帥副官(元帥大将西郷従道附属)
明治31(1898)年12月3日 秋津洲副長
明治32(1899)年7月25日 笠置副長
明治32(1899)年12月25日 八雲副長/八雲回航委員(ドイツ帝国出張)
明治33(1900)年8月30日 帰着
明治34(1901)年4月15日 海軍軍令部副官
明治34(1901)年4月23日 海軍軍令部副官/元帥副官(元帥大将西郷従道附属)
明治35(1902)年7月18日 海軍軍令部副官
明治35(1902)年10月6日 海軍大佐
明治36(1903)年4月12日 秋津洲艦長
明治36(1903)年10月10日 橋立艦長
明治38(1905)年1月7日 春日艦長
明治38(1905)年12月12日 出雲艦長
明治39(1906)年2月2日 海軍省人事局局員
明治40(1907)年11月15日 鹿島艦長
明治41(1908)年4月2日 石見艦長
明治41(1908)年5月15日 舞鶴鎮守府参謀長
明治41(1908)年8月28日 海軍少将
明治43(1910)年4月9日 舞鶴海軍工廠
明治44(1911)年3月11日 練習艦隊司令官
明治45(1912)年4月20日 佐世保海軍工廠
大正元(1912)年12月1日 海軍中将 横須賀海軍工廠
大正2(1913)年12月1日 第二艦隊司令長官
大正4(1915)年2月5日 海軍教育本部長/海軍将官会議議員
大正5(1916)年7月14日 男爵
大正5(1916)年12月1日 呉鎮守府司令長官
大正7(1918)年7月2日 海軍大将
大正8(1919)年12月1日 軍事参議官
大正11(1922)年12月10日 待命被仰付
大正12(1923)年1月21日 予備役被仰付
大正15(1926)年11月18日 後備役被仰付
昭和2(1927)年9月5日 従二位 薨去 (65)