八代六郎

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八代六郎(やしろ・ろくろう Yashiro Rokuro 安政7年正月3日(1860年1月25日) - 昭和5(1930)年6月30日)は、日本の海軍軍人海軍大将愛知県出身。海軍兵学校第8期生(35名中19位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
安政7年正月3日(1860年1月25日)
明治10(1877)年1月16日 海軍兵学校入校
明治13(1880)年9月15日 龍驤乗組
明治14(1881)年9月15日 海軍少尉補
明治14(1881)年10月15日 肇敏乗組
明治16(1883)年11月24日 筑波乗組
明治17(1884)年12月24日 龍驤乗組
明治18(1885)年6月20日 海軍少尉
明治18(1885)年12月25日 待命被仰付
明治18(1885)年12月28日 海軍兵学校通学
明治19(1886)年12月23日 海軍兵学校学術課程卒業
明治19(1886)年12月24日 海兵練習所分隊士/海軍兵学校砲術教授心得
明治20(1887)年3月4日 海兵練習所分隊士/海軍兵学校運用術教授心得
明治20(1887)年10月27日 海兵練習所分隊士/海軍兵学校長伝令使心得
明治20(1887)年12月24日 海軍大尉 海軍兵学校長伝令使
明治21(1888)年6月16日 海軍兵学校副官
明治23(1890)年7月4日 海軍参謀部出仕
明治23(1890)年7月9日 浦潮斯徳出張
明治25(1892)年11月21日 命帰朝
明治26(1893)年5月20日 海軍軍令部出仕
明治26(1893)年12月2日 高千穂分隊長
明治28(1895)年2月20日 吉野分隊長
明治28(1895)年8月20日 常備艦隊参謀
明治28(1895)年12月21日 在ロシア帝国帝国公使館附海軍武官
明治29(1896)年10月24日 海軍少佐
明治30(1897)年12月1日 海軍中佐
明治31(1898)年12月6日 命帰朝
明治32(1899)年7月14日 海軍軍令部出仕
明治33(1900)年1月12日 八島副長
明治33(1900)年5月15日 常備艦隊参謀
明治33(1900)年6月7日 宮古艦長
明治34(1901)年10月1日 海軍大佐 和泉艦長
明治34(1901)年10月21日 海軍大学校選科学生
明治36(1903)年7月7日 浅間艦長
明治38(1905)年12月12日 在ドイツ帝国帝国公使館附海軍武官
明治39(1906)年1月7日 在ドイツ帝国帝国大使館附海軍武官
明治40(1907)年12月27日 海軍少将
明治41(1908)年5月15日 命帰朝
明治41(1908)年12月10日 横須賀予備艦隊司令官
明治42(1909)年12月1日 第一艦隊司令官
明治43(1910)年6月13日 呉鎮守府
明治43(1910)年7月16日 練習艦隊司令官
明治44(1911)年3月11日 第二艦隊司令官
明治44(1911)年12月1日 海軍中将 海軍大学校
大正2(1913)年9月25日 舞鶴鎮守府司令長官
大正3(1914)年4月16日 海軍大臣
大正4(1915)年8月10日 待命被仰付
大正4(1915)年12月13日 第二艦隊司令長官
大正5(1916)年7月14日 男爵
大正6(1917)年12月1日 佐世保鎮守府司令長官
大正7(1918)年7月2日 海軍大将
大正7(1918)年12月1日 軍事参議官
大正8(1919)年11月25日 待命被仰付
大正9(1920)年8月1日 予備役被仰付
大正14(1925)年1月3日 後備役被仰付
大正14(1925)年12月28日 枢密顧問官
昭和5(1930)年1月3日 退役被仰付
昭和5(1930)年6月30日 従二位 薨去 (70)

在任