「伊勢級戦艦 (日本海軍, 1916)」の版間の差分

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==specifications==
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[[伊勢級戦艦 (日本海軍, 1916)|伊勢級戦艦]](いせきゅう・せんかん [http://admiral31.dip.jp/wiki31/en/index.php/Ise_class_battleships_%28IJN,_1916%29 Ise class battleships])は、[[日本海軍]]艦艇のタイプ。大正2年度計画により2隻が建造された。[[扶桑級戦艦 (日本海軍, 1914)|扶桑級戦艦]]の改良型で、主砲は同一であるが配置を変更した。その他、副砲を従来の15センチ砲から14センチ砲に変更している。日本人の体格では15センチ砲の弾重量が過大で連続発射に難があったためである。大戦中、後部主砲を撤去して格納庫と作業甲板を設けいわゆる航空戦艦に改装されたことで知られる。基本計画番号はA92。
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==概説==
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 日本が計画した初めての超弩級戦艦扶桑級は14インチ砲12門を搭載していたが、連装砲塔6基を全艦にまんべんなく配置した結果、機関や装甲に皺寄せがくることになった。すなわち缶室と機関室は砲塔と弾薬庫で分断され、出力の発揮を阻害して速力は22ノットに過ぎなかった。また弾薬庫が艦の前部から後部までの広い範囲に配置されたために装甲を要する範囲が大きくなり、重量増を避けるためには装甲厚をおさえるしかなかった。しかも扶桑級が建造されつつあったころに第一次世界大戦が勃発し、1915年には英独間でドッガーバンク海戦が戦われた。これらの戦訓からは扶桑級の速力と装甲では心許ないことは明確で、改善がはかられたのが伊勢級である。伊勢級では連装砲塔6基を2基ずつの3グループにまとめてそれぞれを背負い配置として扶桑級に比べてすっきりした配置とした。このため前部主砲群と中部主砲群の間に缶室、中部主砲群と後部主砲群の間に機関室と艦内配置もすっきりし、扶桑級よりも速力はわずかに向上した。しかしその一方で最上甲板が中部砲塔付近でいったん打ち切られることとなり、その皺寄せは兵員室の不足となった。また副砲を装備するケースメートも不足したために上甲板上に暴露した形で追加装備された。日本海軍の考えでは伊勢級は一連の超弩級戦艦建造の一過程でしかなかった。しかしワシントン条約により戦艦の建造は中断され、伊勢級は長門級に次ぐ主力艦という立場に立たされた。第一次大戦以前の設計である伊勢級の性能は決して満足すべきものではなかった。そこで伊勢級にはその性能を少しでも向上させるための改装が施された。昭和前半に行なわれた大改装により、缶と機関の換装で速力が25ノットにまで向上、主砲の仰角も引上げられて最大射程は大きく伸びた。艦橋構造物も一変して射撃指揮能力も大射程に適合するように改められた。装甲も水平装甲は増厚された。16インチ砲搭載戦艦には敵すべくもないが、14インチ砲戦艦としての能力はかなり改善されたといえよう。しかし太平洋戦争では航空機が戦闘の主力となり、対空兵装は貧弱で空母に随伴するだけの速力をもたない戦艦群には出番がなかった。役に立たない戦艦に貴重な油を食わせるわけにはいかなかったのである。戦艦はもっぱら内地で訓練任務についていた。17年5月5日に訓練中の日向は5番砲塔で爆発事故を起こし、多数の死傷者を出した。幸いに船体に別状はなく、まもなく実施されたミッドウェー作戦に日向はバーベット上に甲鈑を張った形で参加した。<br>
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 ミッドウェー作戦は空母4隻を失うという敗戦に終わった。空母の増勢が緊急の課題となり、さまざまな方策が検討されたがその中にはあまり活用されていない戦艦の空母への改造というものがあった。大和級をのぞくすべての戦艦が検討の対象とされたが、金剛級は貴重な高速戦艦として除外、長門級も大和級に次ぐ主力艦として活用の機会もあろうということで除外され、結局検討されたのは伊勢級と扶桑級だった。この中でも日向は先の爆発事故で5番砲塔を失っておりいずれ修理する必要があるとのことで最初の検討の対象となった。上部構造物をすべて撤去して完全な空母に改造するという案もあったが、必要な資材と工期は完全な新造に比べて有利とは言えず、そのわりに効果も期待できないとあって採用されなかった。結局採用されたのは5・6番砲塔を撤去して後部艦橋以降に甲板と格納庫を設け、22機の瑞雲水上爆撃機を搭載して2隻で44機と中型空母並みの攻撃力を持たせようというものである。中部砲塔をも撤去して煙突以降をすべて甲板にしようという案もあったが、主砲を残すからには戦艦としての用法も考慮せねばならず、そのためには前部砲塔4門だけでは斉射時の命中は期待できないとの論法で結果4砲塔が残された。結局改造は昭和18年いっぱいかかった。しかし搭載機に予定されていた瑞雲の開発は難航した。搭載機は彗星のカタパルト射出型に変更されたが彗星は艦爆で伊勢級の短い飛行甲板には着艦できない。しかもこのカタパルト射出型彗星にも不具合が続出し、きたる「あ号作戦」にはついに間に合わなかった。「あ号作戦」にも敗退し航空兵力に大損害を被った日本海軍は持てる戦力のすべてを比島につぎ込んだ。伊勢級に搭載されるはずだった彗星も例外ではない。結局伊勢級は艦載機を搭載して出撃することはついになかったのである。この間に伊勢級は高角砲や機銃、対空噴進砲(ロケット砲)といった対空火器を飛躍的に増強した。伊勢級は2隻で第四航空戦隊を編成していたが、捷一号作戦では艦載機をもたない空母直衛艦として小沢機動部隊に属して内地を出撃、南下したのだった。比島海戦で小沢部隊は空母4隻のすべてを失ったが伊勢級は無事に南西諸島へ帰投することができた。やがて豊富な燃料を求めてシンガポール方面に進出したが比島の陥落は時間の問題となった昭和19年末、最後につめるだけの物資を積み込んで南方要域を脱出する「北号作戦」が実施された。伊勢級は米軍機や米潜が跳梁する南支那海を突破、無事に内地に帰還することができた。こののち伊勢級は呉方面に係留されたままとなり、終戦直前の7月に米艦載機の空襲を受けて相次いで大破着底、戦後に浮揚解体された。
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==主要要目==
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===竣工時 (1917)===
 
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|'''Displacement:'''||33,260t standard; 36,500t full load
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|排水量:||常備 31,260t, 満載 36,500t
 
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|'''Dimensions:'''||675ft oa, 640ft x 94ft x 29ft 1in<br>''205.8m, 195.1m x 28.7m x 8.8m''
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|長さ:||垂線間長 195.1m, 全長 205.8m
 
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|'''Machinery:'''||4-shaft Curtis (''Hyuga'' Parsons) turbines, 24 Kampon boilers, 45,000shp = 23kts. Coal 4706t, oil 1411t. Range 9680nm at 14kts
+
|全幅:||28.7m
 
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|'''Armour:'''||Belt 12in-4in (305mm-102mm), barbettes and turrets 12in-8in (305mm-203mm), forward CT 12in, aft CT 6in (152mm), decks 2.2in-1.3in (55mm-34mm)
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|喫水:||8.8m
 
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|'''Armament:'''||12-14in (356mm)/45 (6x2), 20-5.5in (140mm)/50, 4-3.1in/40 AA, 6-21in (533mm) TT sub
+
|機関:||4軸 [[ブラウン・カーチス式タービン]](高低圧) 2基 ([[伊勢]]), [[パーソンズ式タービン]](高低圧) 2基 ([[日向]]), [[ロ号艦本式缶]] 24基 (混焼), 45,000shp
 
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|'''Complement:'''||1360
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|燃料:||重油 1411t, 石炭 4706t
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==units==
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{| border="1"
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!Name!!Builder!!Laid down!!Launched!!Comp!!Fate!!Note
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|[[伊勢]] Ise||[[川崎造船所|川崎神戸]]||1915.05.10||1916.11.12||1917.12.15||1945.07.28 擱座||
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|速力:||23ノット
 
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|[[日向]] Hyuga||[[三菱造船長崎造船所|三菱長崎]]||1915.05.06||1917.01.27||1918.04.30||1945.07.24 擱座||
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|航続力:||9800海里/16ノット
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|装甲:||水線帯 100-300mm, 砲塔 200-300mm, バーベット 200-300mm, 前部司令塔 300mm, 後部司令塔 150mm, 甲板 30-55mm
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|兵装:||36cm/45口径砲 連装6基 12門, 14cm/50口径砲 20門, 8cm/40口径高角砲 4門, 53cm 魚雷発射管 6門(水中)
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|乗員:||1333
 
|}
 
|}
 
+
===改装後 (1936)===
==explanation==
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===text in 1922 volume===
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<p>
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In 1926-28 the foremast was rebuilt, and 1-2 aircraft added. Both ships underwent major reconstruction, ''Ise'' between 1935 and 1937, and ''Hyuga'' between 1934 and 1936, being altered similarly to the ''Fuso'' class. The total weight of armour increased from 9525t to 12,644t. Data was now:</p>
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|'''Displacement:'''||35,800t (''Hyuga'' 36,000t) standard; 39,535t (''Hyuga'' 39,031t) trial
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|排水量:||基準 35,800t([[日向]] 36,000t), 公試 39,535t([[日向]] 39,031t)
 
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|'''Dimensions:'''||Changed as follows - 700ft wl, 708ft oa x 104ft x 30ft 2in<br>''213.36m, 215.80m x 31.70m x 9.21m''
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|長さ:||水線長 213.36m, 全長 215.8m
 
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|'''Machinery:'''||4-shaft geared turbines, 8 boilers, 80,000shp = 25.3kts. Oil 5313t
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|全幅:||31.7m
 
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|'''Armour:'''||Changed as follows - deck 3.8in (middle deck), 2in (upper deck). See notes for ''Fuso'' class
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|喫水:||9.21m
 
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|'''Armament:'''||12-14in/45 (6x2), 16-5.5in/50 (16x1), 8-5in/40 DP (4x2), 20-25mm AA, 3 aircraft
+
|機関:||4軸 [[艦本式減速タービン]](高中低圧) 4基, [[ロ号艦本式缶]] 8基 (重油専焼, 空気予熱器付 20kg/cm2 飽和蒸気), 80,000shp
 
|-
 
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|'''Complement:'''||1376
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|燃料:||重油 5313t
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|速力:||25.3ノット
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|装甲:||中甲板 100mm, 上甲板 50mm
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|兵装:||36cm/45口径砲 連装6基 12門, 14cm/50口径砲 16門, 12.7cm/40口径高角砲 連装4基 8門, 25mm対空機銃 20門, 航空機 3
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|-
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|乗員:||1376
 
|}
 
|}
<p>
+
 
As a result of the carrier losses at Midway, both were converted in 1943 into hybrid battleship-carriers; 'X' and 'Y' turrets were removed, and hangar and flight deck built on to the quarterdeck. The 22 seaplanes were to be launched by catapult, and recovered from the sea by crane, as the deck was much too short for landing. The 5.5in armament was removed and the AA armament increased. Data now became:</p>
+
===改造後 (1943)===
 
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|'''Displacement:'''||35,350t standard; 38.065t trial
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|排水量:||基準 35,350t, 公試 38,065t
 
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|'''Dimensions:'''||Changed as follows - length 720ft 5in oa, draught 29ft 7in<br>''219.62m, 9.03m''
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|長さ:||水線長 213.36m, 全長 219.62m
 
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|'''Machinery:'''||Unchanged except 4249t oil
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|喫水:||9.03m
 
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|'''Armament:'''||8-14in/45 (4x2), 16-5in/40 DP (8x2), 57-25mm AA, 22 aircraft
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|機関:||4軸 [[艦本式減速タービン]](高中低圧) 4基, [[ロ号艦本式缶]] 8基 (重油専焼, 空気予熱器付 20kg/cm2 飽和蒸気), 80,000shp
 
|-
 
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|'''Complement:'''||1463
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|燃料:||重油 4249t
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|兵装:||36cm/45口径砲 連装4基 8門, 12.7cm/40口径高角砲 連装8基 16門, 25mm対空機銃 57門, 航空機 22
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|乗員:||1463
 
|}
 
|}
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The light AA armament was increased to 104-25mm AA in June 1944, and 6 28-barrelled rocket launchers added in September 1944. The two catapults were removed in October, and no aircraft were aboard in the Leyte Gulf operations. Both were sunk in shallow water at Kure by US aircraft, and were broken up after the war.</p>
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==一覧==
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{| class="wikitable"
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!計画!!艦名!!建造所!!起工!!進水!!就役!!艦歴!!記事
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|[[日本海軍年度別艦艇建造計画#大正2年度|大2]]||[[伊勢]] Ise||[[川崎造船所|川崎神戸]]||1915.05.10||1916.11.12||1917.12.15 [[戦艦 (日本海軍)|戦艦]]||1945.07.28 擱座 (航空攻撃)<br>1945.11.20 除籍<br>1946-47 解体||呉港
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|[[日本海軍年度別艦艇建造計画#大正2年度|大2]]||[[日向]] Hyuga||[[三菱造船長崎造船所|三菱長崎]]||1915.05.06||1917.01.27||1918.04.30 [[戦艦 (日本海軍)|戦艦]]||1945.07.24 擱座 (航空攻撃)<br>1945.11.20 除籍<br>1946-47 解体||呉港
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2019年2月20日 (水) 04:05時点における最新版

伊勢級戦艦(いせきゅう・せんかん Ise class battleships)は、日本海軍艦艇のタイプ。大正2年度計画により2隻が建造された。扶桑級戦艦の改良型で、主砲は同一であるが配置を変更した。その他、副砲を従来の15センチ砲から14センチ砲に変更している。日本人の体格では15センチ砲の弾重量が過大で連続発射に難があったためである。大戦中、後部主砲を撤去して格納庫と作業甲板を設けいわゆる航空戦艦に改装されたことで知られる。基本計画番号はA92。

概説

 日本が計画した初めての超弩級戦艦扶桑級は14インチ砲12門を搭載していたが、連装砲塔6基を全艦にまんべんなく配置した結果、機関や装甲に皺寄せがくることになった。すなわち缶室と機関室は砲塔と弾薬庫で分断され、出力の発揮を阻害して速力は22ノットに過ぎなかった。また弾薬庫が艦の前部から後部までの広い範囲に配置されたために装甲を要する範囲が大きくなり、重量増を避けるためには装甲厚をおさえるしかなかった。しかも扶桑級が建造されつつあったころに第一次世界大戦が勃発し、1915年には英独間でドッガーバンク海戦が戦われた。これらの戦訓からは扶桑級の速力と装甲では心許ないことは明確で、改善がはかられたのが伊勢級である。伊勢級では連装砲塔6基を2基ずつの3グループにまとめてそれぞれを背負い配置として扶桑級に比べてすっきりした配置とした。このため前部主砲群と中部主砲群の間に缶室、中部主砲群と後部主砲群の間に機関室と艦内配置もすっきりし、扶桑級よりも速力はわずかに向上した。しかしその一方で最上甲板が中部砲塔付近でいったん打ち切られることとなり、その皺寄せは兵員室の不足となった。また副砲を装備するケースメートも不足したために上甲板上に暴露した形で追加装備された。日本海軍の考えでは伊勢級は一連の超弩級戦艦建造の一過程でしかなかった。しかしワシントン条約により戦艦の建造は中断され、伊勢級は長門級に次ぐ主力艦という立場に立たされた。第一次大戦以前の設計である伊勢級の性能は決して満足すべきものではなかった。そこで伊勢級にはその性能を少しでも向上させるための改装が施された。昭和前半に行なわれた大改装により、缶と機関の換装で速力が25ノットにまで向上、主砲の仰角も引上げられて最大射程は大きく伸びた。艦橋構造物も一変して射撃指揮能力も大射程に適合するように改められた。装甲も水平装甲は増厚された。16インチ砲搭載戦艦には敵すべくもないが、14インチ砲戦艦としての能力はかなり改善されたといえよう。しかし太平洋戦争では航空機が戦闘の主力となり、対空兵装は貧弱で空母に随伴するだけの速力をもたない戦艦群には出番がなかった。役に立たない戦艦に貴重な油を食わせるわけにはいかなかったのである。戦艦はもっぱら内地で訓練任務についていた。17年5月5日に訓練中の日向は5番砲塔で爆発事故を起こし、多数の死傷者を出した。幸いに船体に別状はなく、まもなく実施されたミッドウェー作戦に日向はバーベット上に甲鈑を張った形で参加した。
 ミッドウェー作戦は空母4隻を失うという敗戦に終わった。空母の増勢が緊急の課題となり、さまざまな方策が検討されたがその中にはあまり活用されていない戦艦の空母への改造というものがあった。大和級をのぞくすべての戦艦が検討の対象とされたが、金剛級は貴重な高速戦艦として除外、長門級も大和級に次ぐ主力艦として活用の機会もあろうということで除外され、結局検討されたのは伊勢級と扶桑級だった。この中でも日向は先の爆発事故で5番砲塔を失っておりいずれ修理する必要があるとのことで最初の検討の対象となった。上部構造物をすべて撤去して完全な空母に改造するという案もあったが、必要な資材と工期は完全な新造に比べて有利とは言えず、そのわりに効果も期待できないとあって採用されなかった。結局採用されたのは5・6番砲塔を撤去して後部艦橋以降に甲板と格納庫を設け、22機の瑞雲水上爆撃機を搭載して2隻で44機と中型空母並みの攻撃力を持たせようというものである。中部砲塔をも撤去して煙突以降をすべて甲板にしようという案もあったが、主砲を残すからには戦艦としての用法も考慮せねばならず、そのためには前部砲塔4門だけでは斉射時の命中は期待できないとの論法で結果4砲塔が残された。結局改造は昭和18年いっぱいかかった。しかし搭載機に予定されていた瑞雲の開発は難航した。搭載機は彗星のカタパルト射出型に変更されたが彗星は艦爆で伊勢級の短い飛行甲板には着艦できない。しかもこのカタパルト射出型彗星にも不具合が続出し、きたる「あ号作戦」にはついに間に合わなかった。「あ号作戦」にも敗退し航空兵力に大損害を被った日本海軍は持てる戦力のすべてを比島につぎ込んだ。伊勢級に搭載されるはずだった彗星も例外ではない。結局伊勢級は艦載機を搭載して出撃することはついになかったのである。この間に伊勢級は高角砲や機銃、対空噴進砲(ロケット砲)といった対空火器を飛躍的に増強した。伊勢級は2隻で第四航空戦隊を編成していたが、捷一号作戦では艦載機をもたない空母直衛艦として小沢機動部隊に属して内地を出撃、南下したのだった。比島海戦で小沢部隊は空母4隻のすべてを失ったが伊勢級は無事に南西諸島へ帰投することができた。やがて豊富な燃料を求めてシンガポール方面に進出したが比島の陥落は時間の問題となった昭和19年末、最後につめるだけの物資を積み込んで南方要域を脱出する「北号作戦」が実施された。伊勢級は米軍機や米潜が跳梁する南支那海を突破、無事に内地に帰還することができた。こののち伊勢級は呉方面に係留されたままとなり、終戦直前の7月に米艦載機の空襲を受けて相次いで大破着底、戦後に浮揚解体された。

主要要目

竣工時 (1917)

排水量: 常備 31,260t, 満載 36,500t
長さ: 垂線間長 195.1m, 全長 205.8m
全幅: 28.7m
喫水: 8.8m
機関: 4軸 ブラウン・カーチス式タービン(高低圧) 2基 (伊勢), パーソンズ式タービン(高低圧) 2基 (日向), ロ号艦本式缶 24基 (混焼), 45,000shp
燃料: 重油 1411t, 石炭 4706t
速力: 23ノット
航続力: 9800海里/16ノット
装甲: 水線帯 100-300mm, 砲塔 200-300mm, バーベット 200-300mm, 前部司令塔 300mm, 後部司令塔 150mm, 甲板 30-55mm
兵装: 36cm/45口径砲 連装6基 12門, 14cm/50口径砲 20門, 8cm/40口径高角砲 4門, 53cm 魚雷発射管 6門(水中)
乗員: 1333

改装後 (1936)

排水量: 基準 35,800t(日向 36,000t), 公試 39,535t(日向 39,031t)
長さ: 水線長 213.36m, 全長 215.8m
全幅: 31.7m
喫水: 9.21m
機関: 4軸 艦本式減速タービン(高中低圧) 4基, ロ号艦本式缶 8基 (重油専焼, 空気予熱器付 20kg/cm2 飽和蒸気), 80,000shp
燃料: 重油 5313t
速力: 25.3ノット
装甲: 中甲板 100mm, 上甲板 50mm
兵装: 36cm/45口径砲 連装6基 12門, 14cm/50口径砲 16門, 12.7cm/40口径高角砲 連装4基 8門, 25mm対空機銃 20門, 航空機 3
乗員: 1376

改造後 (1943)

排水量: 基準 35,350t, 公試 38,065t
長さ: 水線長 213.36m, 全長 219.62m
喫水: 9.03m
機関: 4軸 艦本式減速タービン(高中低圧) 4基, ロ号艦本式缶 8基 (重油専焼, 空気予熱器付 20kg/cm2 飽和蒸気), 80,000shp
燃料: 重油 4249t
兵装: 36cm/45口径砲 連装4基 8門, 12.7cm/40口径高角砲 連装8基 16門, 25mm対空機銃 57門, 航空機 22
乗員: 1463

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
大2 伊勢 Ise 川崎神戸 1915.05.10 1916.11.12 1917.12.15 戦艦 1945.07.28 擱座 (航空攻撃)
1945.11.20 除籍
1946-47 解体
呉港
大2 日向 Hyuga 三菱長崎 1915.05.06 1917.01.27 1918.04.30 戦艦 1945.07.24 擱座 (航空攻撃)
1945.11.20 除籍
1946-47 解体
呉港