頼惇吾
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頼惇吾(らい・じゅんご Rai Jungo 明治30(1897)年6月1日 - ?)は、日本の海軍軍人。海軍技術少将。広島県出身。
履歴
日付 | 階級 | その他身分 | 補職/任官等 |
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明治30(1897)年6月1日 | 生 | ||
大正 8(1919)年7月14日 | 海軍造兵学生 | ||
大正10(1921)年4月11日 | 東京帝国大学工学部造兵学科卒 | ||
大正10(1921)年4月26日 | 海軍造兵中尉 | 横須賀鎮守府附 | |
大正10(1921)年7月29日 | 横須賀海軍工廠造兵部附 | ||
大正11(1922)年2月1日 | 呉鎮守府附 | ||
大正11(1922)年11月1日 | 呉海軍工廠水雷部副部員 | ||
大正12(1923)年4月1日 | 海軍造兵大尉 | 呉海軍工廠水雷部部員 | |
大正12(1923)年6月1日 | 連合王国駐在被仰付 | ||
大正14(1925)年9月5日 | ドイツ共和国駐在被仰付 | ||
大正15(1926)年8月10日 | 命帰朝 | ||
大正15(1926)年12月1日 | 海軍技術研究所出仕(科学研究部) | ||
昭和3(1928)年12月1日 | 海軍造兵少佐 | ||
昭和7(1932)年6月1日 | 呉海軍工廠附(魚雷実験部)/海軍技術研究所所員(理学研究部) | ||
昭和8(1933)年11月15日 | 海軍造兵中佐 | ||
昭和10(1935)年4月24日 | 工学博士 | ||
昭和11(1936)年7月1日 | 呉海軍工廠水雷部部員/魚雷実験部部員/海軍艦政本部造兵監督官 | ||
昭和13(1938)年11月10日 | 海軍技術研究所所員(理学研究部) | ||
昭和13(1938)年11月15日 | 海軍造兵大佐 | ||
昭和15(1940)年12月21日 | ドイツ出張被仰付 | ||
昭和17(1942)年1月15日 | 呉海軍工廠魚雷実験部部員 | ||
昭和17(1942)年10月1日 | 呉海軍工廠魚雷実験部長 | ||
昭和17(1942)年11月1日 | 海軍技術大佐 | ||
昭和18(1943)年11月1日 | 呉海軍工廠魚雷実験部長/水雷部長 | ||
昭和19(1944)年1月20日 | 呉海軍工廠魚雷実験部長 | ||
昭和19(1944)年5月1日 | 海軍技術少将 | ||
昭和20(1945)年8月5日 | 呉海軍工廠水雷部長 | ||
昭和20(1945)年11月10日 | 予備役被仰付 |