雷級駆逐艦 (日本海軍, 1898)

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概説

 19世紀末、魚雷の発達により大型艦は水雷艇の脅威にさらされていたが、当時世界最大の海軍国であった英海軍では大型艦に随伴できる水雷艇駆逐艇を開発した。こうして世界最初の駆逐艦が誕生した1893年からわずか5年にも満たない日清戦争直後の海軍拡張計画において、日本海軍は駆逐艦の導入を決定した。そのため、英国を代表する小型艦メーカーであるヤーロー社およびソーニクロフト社に6隻ずつ駆逐艦を発注することとなった。うち、ヤーロー社に発注されたのが日本最初の駆逐艦となる、雷級である。雷級は、ソーニクロフト社に発注された叢雲級と違って4本煙突となっており、缶室と機械室であわせて船体の半分以上を占めていた。船体は平甲板型で、艦首部は水はけを考慮して亀甲型(タートルバック)となっていた。つまり、高速航行時には艦首は当然に水をかぶるので、速やかに海水を舷外に流し落とすことを期待しての構造である。艦首の直後にわずかに高められた艦橋兼砲座があり、これ以降は機関部となっていた。機関部後方には単装魚雷発射管が2基装備されており、艦尾部には砲がもう1門配置されていた。機関部では、船体深さのほとんどを缶および機械で占めてしまうため、57ミリ砲を配置できず、やむを得ず中央部の舷側ぎりぎりのところに置いた。機関および兵装がわずか300トンの船体の大部分を占めているため、居住区にあてることのできる空間が少なく、居住性は劣悪だった。雷級はその後しばらくの間の日本駆逐艦の基本型となった。6隻のうち、霓は就役後まもなく座礁沈没して失われた。のこる5隻はいずれも日露戦争に参加し、首尾よく生き残ったが1909年に衝突事故で電が沈没、さらに1913年には雷が缶の爆発事故を引き起こして沈没してしまった。残る3隻は大正の初めから中期にかけていずれも雑役船に転籍、のち廃船となった。

主要要目

排水量: 常備 305t, 満載 410t
長さ: 垂線間長 67.2m, 全長 68.4m
全幅: 6.2m
喫水: 1.57m
機関: 2軸 直立式4気筒三段膨張レシプロ 2基, ヤーロー缶 4基 (石炭専焼), 6000ihp
速力: 31ノット
兵装: 8cm/40口径砲 2門, 57mm砲 4門, 45cm魚雷発射管 2門
乗員: 55

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明29 Ikazuchi 英 Yarrow 1897.09 1898.11.15 1899.02.23 水雷艇駆逐艇 1900.06.22 駆逐艦 (軍艦)
1905.12.12 駆逐艦
1912.08.28 三等駆逐艦
1913.10.09 喪失 (事故)
1913.11.15 除籍
大湊において缶爆発
明29 Inazuma 英 Yarrow 1897.11 1899.01.28 1899.04.25 水雷艇駆逐艇 1900.06.22 駆逐艦 (軍艦)
1905.12.12 駆逐艦
1909.12.16 喪失 (機帆船と衝突)
1910.09.15 除籍
函館南方
明29 Akebono 英 Yarrow 1898.02 1899.04.25 1899.07.03 水雷艇駆逐艇 1900.06.22 駆逐艦 (軍艦)
1905.12.12 駆逐艦
1912.08.28 三等駆逐艦
1921.04.01 二等掃海艇
1921.06.21 雑役船
明29 Sazanami 英 Yarrow 1897.06 1899.08.08 1899.08.28 水雷艇駆逐艇 1900.06.22 駆逐艦 (軍艦)
1905.12.12 駆逐艦
1912.08.28 三等駆逐艦
1913.04.01 除籍
1914.08.23 雑役船 (漣丸)
明30 Oboro 英 Yarrow 1899.01 1899.10.05 1899.11.01 水雷艇駆逐艇 1900.06.22 駆逐艦 (軍艦)
1905.12.12 駆逐艦
1912.08.28 三等駆逐艦
1921.04.01 二等掃海艇
1921.06.21 雑役船
明30 Niji 英 Yarrow 1899.01 1899.12.17 1900.01.01 水雷艇駆逐艇 1900.06.22 駆逐艦 (軍艦)
1900.08.03 喪失 (座礁)
1901.04.08 除籍
中国山東省南東角