雲揚級砲艦 (日本海軍, 1868)

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概説

 長州藩がイギリスのアバディーンにある造船所に発注した小型砲艦が雲揚である。明治3年に長州藩が受領した時点では雲揚丸と称していた。受領からまもない明治4年には各藩で版籍返上の動きが相次いだ。長州藩も例外ではなく、むしろ積極的に版籍奉還に動いていた。そうした中で、長州軍の軍艦である雲揚丸も政府に献上されることとなった。政府はこれを受領、雲揚として海軍で運用することとなった。雲揚は小型砲艦で設計には新味もなく、それほど成功した艦とはいえなかった。それでも明治7年には佐賀の乱に対処するために出征している。明治8年、日本と朝鮮の関係は朝鮮の開国をめぐって緊張していた。そういった情勢下、朝鮮に派遣されたのが雲揚である。井上良馨艦長の指揮下、雲揚は朝鮮沿岸の各地を測量してまわった。雲揚が朝鮮の首都京城の外港である仁川附近にあらわれ、仁川とその沖合いにある江華島の間の水路に進入して測量を始めたとき、ついに朝鮮の砲台は雲揚にむけて発砲した。雲揚の名目は「真水の補給」ということだったが、この発砲をうけて井上艦長はただちに応戦するとともに陸戦隊を編成して江華島の砲台を占拠させた。これが江華島事件で、この事件をきっかけに朝鮮は開国されて日朝通商条規が締結されたことは有名である。翌明治9年、長州で勃発した萩の乱を鎮圧するために回航中、紀州阿田浦で座礁沈没、多くの犠牲者を出して失われた。

主要要目

排水量: 常備 270t
長さ: 垂線間長 36.5m, 水線長 38.4m
全幅: 7.3m
喫水: 3.3m
機関: 1軸レシプロ, 60hp
速力: 10ノット
兵装: 16cm前装砲 1門, 14cm砲 1門
乗員: 65

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
雲揚 Unyo 英 A.Hall 1868 1868 1870.07 長州藩 雲揚丸 Unyo-Maru 1870 献納
1871.11.29 改名 (雲揚 Unyo)
1876.10.31 喪失 (座礁)
和歌山県阿田浦