隅田級砲艦 (日本海軍, 1903)

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概説

 日清戦争と北清事変により日本が中国大陸に持つ権益は大幅に拡大した。特に北清事変後は列強の関心は長江沿岸に集中し、清朝末期の情勢不穏とも相まって長江流域での権益保護の必要性が高まった。このため日本海軍でも明治36年に初の本格的河用砲艦を2隻建造することとなった。この種の艦艇については、これまでナイル河や南アフリカ、それに中国長江などで河用砲艦を運用してきたイギリスがもっとも豊富な経験を有していた。そこで日本海軍はこれら河用砲艦をイギリスに発注した。2隻の砲艦のうち小型の方が隅田である。 長江上を行動するために非常な浅吃水がまず大前提で、しかも急流を遡上するために15ノット程度の速力と有効な操舵力を必要とするという矛盾した要求をわずか100トン強の船体に盛り込まなければいけない。さらに長期間国外で行動するために良好な居住性と強力な通信能力が求められる。結局完成したものは浅吃水・浅乾舷の船体の上に背の高い上部構造物を設けた形状となった。イギリスで完成した隅田は一旦解体されて輸送船に載せられ、上海で改めて組み立て竣工した。以後、清朝の崩壊から各地の軍閥が紛争を繰り返し、蒋介石の北伐後もなお武力紛争の絶えない中国大陸にあって権益の保護に任じた。その間、第一次大戦のときには中国が当初中立を宣言したため、交戦国軍艦たる隅田は武装解除抑留されることになったが、のち中国が日本と同じ連合国側に立って参戦すると武装を復活して任務に戻った。昭和10年、老朽のため除籍されて上海の業者に売却されて解体。英国で建造され上海に輸送され、30年近く長江上にあって最後は上海で解体された、ついに一度も日本を見たことがない希有の艦である。

主要要目

排水量: 常備 126t, 軽荷 105t
長さ: 垂線間長 44.2m
全幅: 7.2m
喫水: 0.6m
機関: 2軸 直立式2気筒二段膨張レシプロ 2基, 2 ソーニクロフト式水管缶(石炭専焼), 550ihp
燃料: 石炭 40t
速力: 13ノット
兵装: 47mm/40口径砲 2門, 機関銃 4挺
乗員: 40

一覧

計画 艦名 建造 起工 進水 就役 艦歴 記事
明36 隅田 Sumida 英 Thornycroft 1903.01 1903.06.26 1906.04.17 (二等砲艦) 1931.05.30 砲艦
1935.03.01 除籍