近藤英次郎

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近藤英次郎(こんどう・えいじろう Kondo Eijiro 明治20(1887)年9月12日 - 昭和30(1955)年12月27日)は、日本の海軍軍人海軍中将山形県出身。海軍兵学校第36期生(191名中76位)、海軍大学校第19期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治20(1887)年9月12日
功二級
明治41(1908)年11月21日 海軍少尉候補生 宗谷乗組
明治42(1909)年8月2日 三笠乗組
明治43(1910)年1月15日 海軍少尉
明治44(1911)年4月20日 海軍砲術学校普通科学生
明治44(1911)年8月4日 海軍水雷学校普通科学生
明治44(1911)年12月1日 海軍中尉
明治44(1911)年12月20日 吾妻乗組
大正2(1913)年9月26日 比叡乗組
大正3(1914)年12月1日 海軍大尉 海軍大学校乙種学生
大正4(1915)年5月26日 海軍砲術学校高等科学生
大正4(1915)年12月13日 春日分隊長
大正6(1917)年2月3日 乗組
大正7(1918)年1月12日 乗組
大正7(1918)年5月1日 第二特務艦隊参謀
大正7(1918)年9月10日 出雲分隊長/第二特務艦隊参謀
大正7(1918)年12月1日 海軍砲術学校教官/分隊長
大正8(1919)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正9(1920)年12月1日 海軍少佐
大正10(1921)年12月1日 駆逐艦長
大正11(1922)年12月1日 呉鎮守府参謀
大正12(1923)年6月1日 アメリカ合衆国駐在被仰付
大正14(1925)年4月20日 命帰朝
大正14(1925)年7月1日 海軍軍令部出仕
大正14(1925)年12月1日 海軍中佐 第一遣外艦隊司令部附
大正15(1926)年3月20日 第一遣外艦隊参謀
昭和2(1927)年11月1日 海軍兵学校監事
昭和3(1928)年12月10日 海軍兵学校監事/教官
昭和4(1929)年11月30日 海軍大佐 横須賀鎮守府
昭和5(1930)年2月20日 能登呂特務艦長
昭和5(1930)年12月1日 鳳翔艦長
昭和6(1931)年11月14日 館山海軍航空隊司令
昭和7(1932)年12月1日 赤城艦長
昭和8(1933)年10月20日 加賀艦長
昭和9(1934)年11月15日 第三艦隊参謀長
昭和10(1935)年11月15日 海軍少将
昭和10(1935)年12月2日 上海特別陸戦隊司令官/第三艦隊司令部附
昭和11(1936)年11月16日 軍令部出仕
昭和11(1936)年12月1日 横須賀警備戦隊司令官
昭和12(1937)年7月28日 第三水雷戦隊司令官
昭和12(1937)年12月1日 第十一戦隊司令官
昭和13(1938)年12月15日 横須賀鎮守府出仕
昭和14(1939)年11月15日 海軍中将 軍令部出仕
昭和14(1939)年12月15日 待命被仰付
昭和14(1939)年12月21日 予備役被仰付
昭和15(1940)年11月9日 海軍省大臣官房事務嘱託
昭和17(1942)年6月10日 内閣委員
昭和17(1942)年11月1日 大東亜省委員
昭和30(1955)年12月27日 没 (68)