見島級海防艦 (日本海軍, 1905)

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見島級海防艦(みしまきゅうかいぼうかん Mishima class coast defense ships)は、日本海軍艦艇のタイプ。

概説

 ロシア海軍では1890年代はじめにバルト海用の沿岸警備海防艦を3隻建造した。これがウシャコフ級である。目的はスウェーデンの海防戦艦に対抗することにあり、外洋での作戦は考慮されておらず、5千トンに満たない船体に25センチ砲を4門(アプラクシンは3門)搭載している。日露戦争の勃発によりバルチック艦隊(第二太平洋艦隊)が増援として極東に派遣されたとき、これら海防戦艦は航洋性に乏しくまた戦力としても外洋での作戦には不向きであるため、バルト海に残留することとなった。しかし1904年末には在旅順の極東艦隊は全滅してしまい、さらに第三太平洋艦隊を増強することとした。この第三太平洋艦隊は先の第二太平洋艦隊に含まれなかった艦をかき集めて編制されており、必然的に旧式艦が主体となった。本来海防戦艦に過ぎなかったウシャコフ級もこの艦隊に充当されて地球を半周して極東に派遣されることとなった。1905年早々にバルト海を出撃した第三太平洋艦隊は仏印カムラン湾で先発した第二太平洋艦隊と合流して対馬海峡を突破してウラジオストックを目指した。しかし対馬海峡で有力な日本海軍に迎撃されてウシャコフは撃沈、アプラクシンとセニャーウィンは降伏して日本に捕獲され、それぞれ沖島、見島と命名され一等海防艦に編入された。捕獲された両艦はさしたる損傷はなかったらしく、まもなく行なわれた樺太攻略作戦に参加している。第一次大戦では初期の青島攻略作戦に参加した。第一次大戦後のシベリア干渉において、冬季の北方行動能力が欠如していた日本海軍は急遽見島の艦首に砕氷設備を仮設したがそれほど効果は無かったようだ。沖島は大正11年に除籍後、雑役船を経て福岡県の日本海海戦戦跡保存会に払下げられ、記念艦として保存予定だったが荒天のために座礁してのち解体された。見島は一時潜水艦母艇として用いられていたが昭和10年に除籍されてのち実艦的として回航中に都井岬沖で浸水沈没した。

主要要目

見島

排水量: 常備 4165t, 満載 4270t
長さ: 水線長 84.6m
全幅: 15.9m
喫水: 5.19m
機関: 2軸レシプロ, 5250ihp
燃料: 石炭 260t
速力: 16ノット
航続力: 3000海里/10ノット
装甲: 水線帯 250mm, 甲板 75mm, 砲塔 200mm
兵装: 25.4cm/45口径砲 連装2基 4門, 12cm/45口径砲 4門, 47mm砲 10門, 37mm砲 12門, 45cm魚雷発射管 4門
乗員: 406

沖島

排水量: 常備 4126t, 満載 5050t
長さ: 水線長 84.6m
全幅: 16.0m
喫水: 5.79m
機関: 2軸レシプロ, 5250ihp
燃料: 石炭 260t
速力: 16ノット
航続力: 3000海里/10ノット
装甲: 水線帯 250mm, 甲板 75mm, 砲塔 200mm
兵装: 25.4cm/45口径砲 連装1基単装1基 3門, 12cm/45口径砲 4門, 47mm砲 10門, 37mm砲 12門, 45cm魚雷発射管 4門
乗員: 404

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
見島 Mishima 露 Baltic Works 1892 1894.08.22 1896 露 Admiral Senyiavin 1905.05.28 捕獲 (日本海海戦)
1905.06.06 二等海防艦
1922.04.01 潜水艦母艇
1935.10.10 除籍
1936.09 処分
沖島 Okinoshima 露 New Admiralty 1894.10 1896.05.12 1899 露 General Admiral Apraksin 1905.05.28 捕獲 (日本海海戦)
1905.06.06 二等海防艦
1922.04.01 雑役船
1925 座礁放棄