西紳六郎

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

西紳六郎(にし・しんろくろう、万延元年9月28日(1860年11月10日) - 昭和8(1933)年10月16日)は、日本の海軍軍人海軍中将東京都出身。海軍兵学校第8期生海軍大学校甲号第2期生

履歴

  • 明治10(1877)年1月16日、海軍兵学校入校。
  • 明治13(1880)年9月15日、補龍驤乗組。
  • 明治14(1881)年9月15日、命海軍少尉補
  • 明治14(1881)年10月15日、補摂津乗組。
  • 明治14(1881)年11月19日、海軍兵学校卒業。
  • 明治15(1882)年7月27日、補天城乗組。
  • 明治18(1885)年6月20日、任海軍少尉。補天城分隊士。
  • 明治18(1885)年12月28日、海軍兵学校通学。
  • 明治19(1886)年12月28日、補葛城分隊士。
  • 明治20(1887)年10月27日、補第一回漕丸分隊長心得。
  • 明治20(1887)年12月24日、任海軍大尉。補浅間教官補。
  • 明治21(1888)年12月25日、補海軍大学校副官。
  • 明治22(1889)年8月2日、補海軍大学校甲号学生。
  • 明治23(1890)年8月16日、補龍驤乗組。
  • 明治24(1891)年4月6日、補扶桑砲術長。
  • 明治24(1891)年11月17日、待命被仰付。
  • 明治24(1891)年12月14日、補葛城分隊長。
  • 明治25(1892)年12月21日、補千代田砲術長兼分隊長。
  • 明治26(1893)年6月7日、補吉野分隊長兼回航委員。連合王国出張被仰付。
  • 明治27(1894)年3月6日、帰着。
  • 明治27(1894)年4月4日、補天城分隊長。
  • 明治27(1894)年6月5日、補武蔵分隊長。
  • 明治28(1895)年6月12日、補海軍軍令部第一局局員。
  • 明治29(1896)年10月24日、任海軍少佐。補海軍軍令部第二局局員。
  • 明治30(1897)年2月26日、養父の家督を相続し男爵の爵位を襲う。
  • 明治30(1897)年12月1日、任海軍中佐
  • 明治31(1898)年5月23日、補厳島副長。
  • 明治32(1899)年6月17日、補海軍軍令部副官。
  • 明治32(1899)年7月25日、補海軍軍令部第一局局員。
  • 明治32(1899)年9月29日、補海軍軍令部出仕。
  • 明治32(1899)年12月25日、補在アメリカ合衆国帝国公使館附海軍武官
  • 明治35(1902)年5月24日、任海軍大佐
  • 明治35(1902)年10月1日、命帰朝。
  • 明治36(1903)年5月14日、補笠置艦長。
  • 明治36(1903)年9月11日、待命被仰付。
  • 明治37(1904)年1月11日、補佐世保海兵団長。
  • 明治37(1904)年3月7日、補皇族附武官兼戦時大本営附。(威仁親王附)
  • 明治37(1904)年11月19日、免兼戦時大本営附。(皇族附武官)。
  • 明治37(1904)年12月25日、補馬公要港部参謀長。
  • 明治38(1905)年6月14日、補高千穂艦長。
  • 明治38(1905)年12月12日、補壱岐艦長。
  • 明治39(1906)年8月30日、補周防艦長。
  • 明治40(1907)年3月12日、補横須賀海兵団長。
  • 明治41(1908)年5月15日、補佐世保鎮守府参謀長。
  • 明治41(1908)年5月26日、補侍従武官
  • 明治41(1908)年8月28日、任海軍少将
  • 大正元(1912)年12月1日、補海軍将官会議議員。
  • 大正2(1913)年4月14日、補馬公要港部司令官。
  • 大正2(1913)年9月25日、任海軍中将
  • 大正2(1913)年12月1日、待命被仰付。
  • 大正3(1914)年12月1日、予備役被仰付。
  • 大正5(1916)年1月15日、任有栖川宮家宮務監督。
  • 大正7(1918)年3月16日、任貴族院議員
  • 大正9(1920)年9月28日、後備役被仰付。
  • 大正13(1924)年7月19日、免宮務監督。
  • 大正14(1925)年9月28日、退役被仰付。
  • 大正14(1925)年12月17日、任宮中顧問官