藤原英三郎

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

藤原英三郎(ふじわら・えいざぶろう 明治5年4月26日(1872.6.1)~昭和24(1949)年11月6日)は、日本の海軍軍人海軍中将。佐賀県出身。海軍兵学校第21期生、海軍大学校第5期生

履歴

  • 明治27(1894)年11月15日、命海軍少尉候補生。補厳島乗組。
  • 明治28(1895)年7月29日、補扶桑乗組。
  • 明治28(1895)年8月23日、補橋立乗組。
  • 明治28(1895)年12月27日、任海軍少尉。補比叡分隊士。
  • 明治29(1896)年4月27日、補平遠乗組。
  • 明治29(1896)年10月9日、補海軍砲術練習所学生。
  • 明治30(1897)年3月17日、補扶桑乗組。
  • 明治30(1897)年8月25日、補竹敷要港部水雷艇隊附。
  • 明治30(1897)年12月1日、任海軍中尉
  • 明治31(1898)年6月28日、補水雷艇不知火回航委員。連合王国出張被仰付。
  • 明治31(1898)年10月19日、補水雷艇回航委員兼横須賀水雷団第一水雷艇隊附。
  • 明治31(1898)年10月28日、補水雷艇夕霧回航委員兼竹敷要港部水雷艇隊附。
  • 明治32(1899)年6月15日、帰着。
  • 明治32(1899)年6月28日、補横須賀水雷団第二水雷艇隊附。
  • 明治32(1899)年9月11日、補和泉分隊長心得。
  • 明治32(1899)年9月29日、任海軍大尉。補和泉分隊長。
  • 明治34(1901)年5月16日、補金剛砲術長兼分隊長。
  • 明治34(1901)年11月28日、補金剛分隊長。
  • 明治35(1902)年9月10日、補佐世保水雷団第一水雷艇隊艇長。
  • 明治36(1903)年7月7日、補海軍砲術練習所教官兼分隊長海軍機関学校教官。
  • 明治36(1903)年12月28日、補愛宕分隊長。
  • 明治37(1904)年3月5日、補第十五艇隊艇長。
  • 明治38(1905)年1月12日、補艦長。
  • 明治38(1905)年8月5日、任海軍少佐
  • 明治38(1905)年11月21日、補厳島砲術長。
  • 明治39(1906)年1月25日、補海軍大学校甲種学生。
  • 明治40(1907)年12月18日、補海軍艦政本部出仕。
  • 明治41(1908)年4月7日、補海軍艦政本部部員。
  • 明治42(1909)年3月4日、補呉鎮守府附。
  • 明治42(1909)年5月15日、補造兵監督官。連合王国出張被仰付。
  • 明治43(1910)年3月19日、任海軍中佐
  • 明治43(1910)年8月22日、命帰朝。
  • 明治45(1912)年4月20日、補筑摩副長兼佐世保海軍工廠艤装員。
  • 明治45(1912)年5月17日、免兼佐世保海軍工廠艤装員。(筑摩副長)
  • 大正元(1912)年12月1日、補呉予備艦隊参謀。
  • 大正2(1913)年12月1日、補海軍艦政本部部員。
  • 大正3(1914)年7月1日、兼補臨時建築部部員。(海軍艦政本部部員兼臨時建築部部員)
  • 大正3(1914)年12月1日、任海軍大佐
  • 大正4(1915)年10月1日、補海軍省艦政局局員兼臨時建築部部員。
  • 大正5(1916)年4月1日、補海軍省艦政局第一課長兼臨時建築部部員。
  • 大正5(1916)年11月6日、補造船造兵監督官。
  • 大正5(1916)年11月18日、連合王国出張被仰付。
  • 大正6(1917)年12月1日、命帰朝。
  • 大正7(1918)年6月6日、補海軍省艦政局第六課長。
  • 大正7(1918)年12月12日、兼補海軍省軍需局事務官。(海軍省艦政局第六課長兼軍需局事務官)
  • 大正8(1919)年12月1日、任海軍少将。補海軍将官会議議員。
  • 大正9(1920)年10月1日、補海軍艦政本部総務部長。
  • 大正11(1922)年6月10日、補横須賀海軍工廠長。
  • 大正12(1923)年12月1日、任海軍中将
  • 大正13(1924)年6月11日、補海軍省軍需局長。
  • 大正13(1924)年12月20日、補馬公要港部司令官。
  • 大正14(1925)年8月1日、補海軍軍令部出仕。
  • 大正14(1925)年10月1日、待命被仰付。
  • 大正14(1925)年12月16日、予備役被仰付。
  • 昭和9(1934)年4月26日、後備役被仰付。
  • 昭和14(1939)年4月26日、退役被仰付。