竹下義晴

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竹下義晴(たけした・よしはる、明治24(1891)年4月9日 - 昭和54(1979)年2月7日)は、日本の陸軍軍人陸軍中将広島県出身。陸軍士官学校第23期生(歩兵)、陸軍大学校第33期生

履歴

  • 昭和6(1931)年3月11日、関東軍調査班長。
  • 昭和6(1931)年10月5日、関東軍参謀。
  • 昭和7(1932)年8月8日、ハルピン駐在。
  • 昭和9(1934)年3月5日、陸軍士官学校附。
  • 昭和10(1935)年8月1日、任陸軍歩兵大佐。山海関特務機関長。
  • 昭和11(1936)年4月13日、関東軍第三課長。
  • 昭和12(1937)年10月13日、歩兵第四十五聯隊長。
  • 昭和13(1938)年7月15日、任陸軍少将。上海特務機関長。
  • 昭和14(1939)年7月4日、第十三軍附(上海駐在)。
  • 昭和15(1940)年3月9日、蒙彊連絡部長官。
  • 昭和16(1941)年3月1日、任陸軍中将
  • 昭和16(1941)年12月8日、満洲国軍政部最高顧問。
  • 昭和17(1942)年11月9日、第二十七師団長。
  • 昭和19(1944)年5月30日、参謀本部附。
  • 昭和19(1944)年7月5日、第六方面軍附。
  • 昭和19(1944)年12月2日、予備役。
  • 昭和20(1945)年1月10日、留守第三十師団長。
  • 昭和20(1945)年4月1日、平壌師管区司令官。