百武源吾

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百武源吾(ひゃくたけ・げんご Hyakutake Gengo 明治15(1882)年1月28日 - 昭和51(1976)年1月15日)は、日本の海軍軍人海軍大将佐賀県出身。海軍兵学校第30期生(187名中1位)、海軍大学校第11期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治15(1882)年1月28日
明治35(1902)年12月14日 海軍少尉候補生 厳島乗組
明治36(1903)年9月8日 三笠乗組
明治36(1903)年12月28日 海軍少尉
明治37(1904)年10月29日 韓崎丸乗組
明治37(1904)年12月27日 富士乗組
明治38(1905)年1月12日 海軍中尉
明治38(1905)年8月31日 千代田分隊長心得
明治38(1905)年12月12日 香取回航委員(連合王国出張被仰付)
明治39(1906)年1月15日 香取乗組
明治39(1906)年4月15日 帰朝
明治39(1906)年8月10日 香取分隊長心得
明治40(1907)年3月30日 磐城航海長心得
明治40(1907)年7月12日 富士分隊長心得
明治40(1907)年9月28日 海軍大尉 海軍砲術学校特修科学生
明治41(1908)年4月20日 南清艦隊参謀
明治41(1908)年11月20日 海軍大学校乙種学生
明治42(1909)年5月19日 海軍大学校専修学生
明治42(1909)年12月1日 高千穂航海長
明治43(1910)年3月1日 生駒分隊長
明治44(1911)年1月23日 横須賀予備艦隊参謀
明治44(1911)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正元(1912)年12月1日 海軍少佐
大正2(1913)年5月24日 出雲航海長
大正2(1913)年7月31日 海軍軍令部参謀/海軍教育本部部員/海軍大学校教官(教本二部)
大正4(1915)年5月10日 アメリカ合衆国駐在被仰付
大正6(1917)年4月1日 海軍中佐
大正6(1917)年6月20日 命帰朝
大正6(1917)年9月15日 海軍大学校教官
大正6(1917)年12月1日 海軍大学校教官/海軍軍令部出仕
大正7(1918)年11月1日 海軍大学校教官/海軍軍令部出仕/陸軍大学校兵学教官
大正8(1919)年8月18日 海軍大学校教官/海軍軍令部出仕
大正9(1920)年12月1日 海軍大佐
大正10(1921)年12月1日 多摩艦長
大正12(1923)年3月5日 春日艦長
大正12(1923)年12月1日 海軍省教育局第一課長
大正13(1924)年12月1日 海軍軍令部出仕
大正14(1925)年2月10日 海軍軍令部参謀
大正14(1925)年2月12日 フランス共和国出張被仰付
大正14(1925)年6月19日 国際聯盟常設軍事諮問委員会帝国海軍代表
大正14(1925)年12月1日 海軍少将
大正15(1926)年2月1日 命帰朝
大正15(1926)年4月15日 海軍大学校教頭
昭和2(1927)年12月1日 海軍軍令部参謀/海軍大学校教官(一班長)
昭和3(1928)年2月20日 海軍軍令部参謀
昭和4(1929)年11月30日 第五戦隊司令官
昭和5(1930)年12月1日 海軍中将 海軍軍令部出仕
昭和6(1931)年10月10日 海軍軍令部次長
昭和7(1932)年2月8日 海軍大学校
昭和7(1932)年10月1日 練習艦隊司令官
昭和8(1933)年9月15日 舞鶴要港部司令官
昭和9(1934)年11月15日 第三艦隊司令長官
昭和10(1935)年12月2日 佐世保鎮守府司令長官
昭和11(1936)年3月16日 海軍艦政本部長/海軍将官会議議員
昭和11(1936)年12月1日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
昭和12(1937)年4月1日 海軍大将
昭和13(1938)年4月25日 軍事参議官
昭和16(1941)年4月9日 軍事参議官海軍高等技術会議議長
昭和17(1942)年7月13日 待命被仰付
昭和17(1942)年7月15日 予備役被仰付
昭和20(1945)年3月1日 九州帝国大学総長
昭和20(1945)年11月30日 九州帝国大学総長
昭和51(1976)年1月15日 死去 (93)

親族