河野董吾

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河野董吾(かわの・とうご 明治14(1881)年12月7日 - 昭和15(1940)年9月10日)は、日本の海軍軍人海軍中将山口県出身。海軍兵学校第31期生(173名中14位)、海軍大学校第13期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治14(1881)年12月7日
明治36(1903)年12月14日 海軍少尉候補生 橋立乗組
明治37(1904)年1月4日 笠置乗組
明治37(1904)年9月10日 海軍少尉
明治38(1905)年8月5日 海軍中尉
明治39(1906)年7月6日 第十一艇隊
明治40(1907)年2月4日 水無月乗組
明治40(1907)年9月28日 日進分隊長心得
明治41(1908)年4月20日 海軍水雷学校特修科学生
明治41(1908)年9月25日 海軍大尉 阿蘇分隊長
明治42(1909)年10月11日 阿蘇分隊長/水雷長
明治42(1909)年10月25日 阿蘇分隊長
明治43(1910)年1月10日 鹿島分隊長
明治43(1910)年5月23日 海軍大学校乙種学生
明治43(1910)年12月1日 海軍水雷学校高等科学生
明治44(1911)年5月23日 第一艦隊参謀
明治45(1912)年6月14日 海軍水雷学校教官/分隊長
大正2(1913)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正3(1914)年12月1日 海軍少佐
大正4(1915)年12月13日 海軍軍令部出仕
大正5(1916)年8月1日 海軍軍令部参謀
大正6(1917)年4月12日 海軍軍令部参謀/海軍大学校教官
大正6(1917)年12月1日 第一艦隊参謀
大正7(1918)年9月1日 第一艦隊参謀/聯合艦隊参謀
大正7(1918)年12月1日 海軍中佐 第三水雷戦隊参謀
大正8(1919)年12月1日 海軍軍令部参謀
大正10(1921)年6月15日 在ブラジル連邦帝国公使館附海軍武官
大正11(1922)年12月1日 海軍大佐
大正12(1923)年5月1日 在ブラジル連邦帝国大使館附海軍武官
大正12(1923)年6月1日 命帰朝
大正12(1923)年12月1日 北上艦長
大正13(1924)年11月1日 海軍軍令部参謀(二班四課長)/海軍大学校教官
大正14(1925)年5月5日 海軍軍令部参謀(二班四課長)
大正15(1926)年12月1日 伊勢艦長
昭和2(1927)年12月1日 海軍少将 佐世保鎮守府参謀長
昭和3(1928)年12月10日 海軍軍令部参謀(三班長)
昭和6(1931)年4月1日 海軍軍令部出仕
昭和6(1931)年10月10日 第五戦隊司令官
昭和6(1931)年12月1日 大湊要港部司令官
昭和7(1932)年11月15日 海軍軍令部出仕
昭和7(1932)年12月1日 海軍中将 待命被仰付
昭和7(1932)年12月15日 予備役被仰付
昭和13(1938)年5月1日 軍令部事務嘱託
昭和15(1940)年9月10日 死去 (58)