松平忠輝

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松平忠輝(まつだいら・ただてる、天正20年正月4日(1592年2月16日) - 天和3年7月3日(1683年8月24日))は、日本の武将。越後高田藩主、はじめ信濃川中島藩主、下総佐倉藩主、武蔵深谷藩主。江戸幕府初代征夷大将軍徳川家康六男。長澤松平康忠継嗣。幼名は辰千代丸(たつちよまる)。

履歴

  • 天正20年正月4日、江戸城に生まれる
  • 慶長7年11月28日、下総佐倉城を賜い、4万石を領す
  • 慶長8年2月5日、信濃川中島城に転じ、14万石を領す
  • 慶長10年4月16日、従四位下左近衛権少将上総介
  • 慶長15年閏2月3日、越後高田城に転じ、62万石を領す
  • 元和元年8月12日、改易
  • 元和2年7月4日、出家。伊勢朝熊に移る
  • 天和3年7月3日、卒去。92歳。寂林院心誉輝窓日仙

在任

親族

尊属

  • 父・徳川家康
  • 母・朝覚院於茶阿方(山田氏)

配偶

  • 正室・天麟院五郎八姫(伊達政宗女)
  • 妾・見相院

卑属

  • ♂徳松丸