朝日級戦艦 (日本海軍, 1899)

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朝日級戦艦(あさひきゅうせんかん Asahi class battleship)は、日本海軍艦艇のタイプ。

概説

 日本海軍がきたるべき日露戦争において戦力整備の目標としたのが戦艦6隻、装甲巡洋艦6隻からなる六六艦隊である。朝日はその戦艦6隻の1艦として英国ジョンブラウン社に発注された。基本的にはそれまでの戦艦(富士級および敷島級)と同型であるが、外観上の相違点として煙突がそれまでの3本から2本に減っている。このため上部構造の艤装に多少の変更点が見られるが缶数は25で変わっていない。その他重要な相違点としては、水線下の水密構造に改善が見られることである。水密区画の数が261から288に増え、浸水に対して抗堪性が高まっている。朝日は竣工当初、燃料消費量が計画以上に大きいという問題があったがやがてこれは改善されている。間もなく勃発した日露戦争では第一艦隊主力として旅順奇襲、黄海海戦、日本海海戦など主要海戦のすべてに参加、第一次大戦ではシベリア出兵にあたり沿海州沿岸の警備に従事したが、大正半ばには海防艦に格下げとなりやがてワシントン条約のため武装と装甲を撤去されて練習特務艦に類別された。
 ちょうどこの頃、潜水艦勢力の増強にともなって事故救難能力の欠如が問題となっていた。この目的のために白羽の矢が立てられたのが大きな船体を持ちしかも当面使いみちのない朝日である。当時沈没潜水艦の救難のために考えられたのは「つるべ式」という方法で、ワイヤの片方に要救難潜水艦を固定、もう片方には廃艦となった潜水艦を吊り下げ、廃艦の側に水を注水することで反対側の潜水艦を浮上させようというものである。朝日に与えられたのはこの「つるべ」の滑車の役割であった。船体両舷に大きな突起物を設け、ここにワイヤーを通すのである。改造工事は横須賀工廠で行なわれたが、実験の結果を見てさらに呉工廠で改造が行なわれた。この方式は「おおむね良好」と判定されたが、やがて潜水艦が大型化するに至りとてもこんな方法では間に合わなくなったため放棄され朝日の救難設備も撤去された。その後は練習特務艦として使用されていたが支那事変が勃発したことが運命を変えた。当時日本海軍は工作艦を保有していなかった。事変勃発のために整備などの工作量の急激な増加が見込まれ、現地に前進して工事の行なえる工作艦が求められた。この目的のため余剰気味であった朝日を用いることが決定し、急遽艦種を工作艦に変更して呉工廠で所要の工事を行ない、上海に派遣されて現地で参戦艦艇の修理整備にあたった。この貢献度は非常に大きいものがあったと言われている。太平洋戦争の開戦にあたってははじめ海南島、のち仏印のカムラン湾、さらには陥落直後のシンガポールと順々に進出して修理任務に従事、南方進攻作戦を支援した。南方進攻作戦が一段落した昭和17年5月、シンガポールから内地に帰航する途次の南支那海で米潜水艦の雷撃を受け戦没。

主要要目

竣工時 (1900)

排水量: 常備 15,200t, 満載 15,374t
長さ: 水線長 126.5m, 全長 129.6m
全幅: 22.92m
喫水: 8.3m
機関: 2軸 直立型3気筒三段膨張レシプロ 2基, ベルヴィール缶 25基 (石炭専焼), 15,000ihp
燃料: 石炭 1549t
速力: 18ノット
装甲: 水線帯 100-230mm, 上部水線帯 150mm, 甲板 25-100mm, バーベット 200-360mm, ケースメイト 50-150mm, 司令塔 75-360mm
兵装: 30cm砲 連装2門 4門, 15.2cm砲 単装14基 14門, 12ポンド速射砲 単装20基 20門, 3ポンド砲 単装6基 6門, 2.5ポンド砲 単装6基 6門, 45cm魚雷発射管 4門
乗員: 838

工作艦 (1937)

排水量: 基準 11,441t
長さ: 垂線間長 122.0m, 全長 129.6m
全幅: 22.92m
喫水: 6.93m
機関: 2軸 直立型3気筒三段膨張レシプロ 2基, ロ号艦本式缶 4基 (石炭専焼)
速力: 12ノット
兵装: 8cm/40口径対空砲 2門
乗員: 286

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明30 朝日 Asahi 英 John Brown 1897.08.01 1899.03.31 1900.07.31 一等戦艦 1905.12.12 戦艦
1921.09.01 一等海防艦
1923.04.01 練習特務艦
1937.08.16 工作艦
1942.05.26 戦没 (被雷)
1942.06.15 除籍
南シナ海