徳川忠長

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徳川忠長(とくがわ・ただなが、慶長11年5月7日(1606年6月12日) - 寛永9年12月6日(1633年1月15日))は、日本の武将。駿河府中藩主。江戸幕府第2代征夷大将軍徳川秀忠三男。幼名は国松丸(くにまつまる)。

履歴

  • 慶長11年5月7日、生まれる
  • 元和3年、信濃小諸城・10万石を賜う
  • 元和4年正月11日、甲斐府中城に転封
  • 元和6年8月22日、従四位下参議左近衛権中将
  • 元和年7月27日、従三位権中納言
  • 寛永元年8月11日、駿河遠江二州を加えらる
  • 寛永3年8月19日、従二位権大納言
  • 寛永7年10月1日、蟄居
  • 寛永9年10月、上野高崎に配流
  • 寛永9年12月6日、自害。27歳。峯厳院晴徹眺雲

在任

親族

尊属