御子柴隼人

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御子柴隼人(みこしば・はやと Mikoshiba Hayato 明治26(1893)年5月18日 - 昭和52(1977)年8月30日)は、日本の海軍軍人海軍少将長野県出身。海軍機関学校第24期生(49名中11位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治26(1893)年5月18日
大正4(1915)年12月20日 海軍機関少尉候補生 笠置乗組
大正5(1916)年7月14日 比叡乗組
大正5(1916)年12月1日 海軍機関少尉 薩摩乗組
大正7(1918)年2月1日 待命被仰付
大正7(1918)年2月15日 肥前乗組
大正7(1918)年12月1日 海軍機関中尉 乗組
大正8(1919)年6月1日 海軍機関学校普通科学生
大正8(1919)年12月1日 第十一艇隊
大正9(1920)年4月1日 海軍大学校選科学生
大正10(1921)年12月1日 海軍機関大尉
大正11(1922)年3月20日 金剛分隊長
大正11(1922)年12月1日 若宮分隊長
大正12(1923)年8月13日 摂津分隊長
大正12(1923)年9月27日 呉海兵団分隊長/教官
大正13(1924)年9月12日 木曽分隊長
大正13(1924)年12月1日 川内分隊長
大正14(1925)年12月1日 海軍大学校機関学生
昭和2(1927)年12月1日 海軍機関少佐 長門分隊長
昭和3(1928)年1月15日 山城分隊長
昭和3(1928)年12月10日 舞鶴要港部
昭和6(1931)年12月1日 海軍艦政本部部員(総務部三課)
昭和7(1932)年12月1日 海軍機関中佐
昭和9(1934)年11月15日 軍令部出仕/海軍省出仕/海軍燃料廠煉炭部部員
昭和9(1934)年12月20日 欧米各国出張被仰付
昭和10(1935)年10月31日 那智機関長
昭和11(1936)年12月1日 呉海軍工廠総務部部員/造機部検査官
昭和12(1937)年12月1日 海軍機関大佐 第十一戦隊機関長
昭和13(1938)年12月15日 佐世保海軍工廠出仕(総務部)
昭和15(1940)年4月15日 横須賀鎮守府
昭和15(1940)年6月1日 練習艦隊機関長
昭和15(1940)年9月20日 呉鎮守府
昭和15(1940)年11月15日 広海軍工廠総務部長/工員養成所長
昭和17(1942)年5月5日 支那方面艦隊司令部附
昭和17(1942)年5月17日 第一海軍工作部長/海軍艦政本部造船造兵監督官(上海駐在)
昭和17(1942)年8月25日 支那方面艦隊機関長/第一海軍工作部長/海軍艦政本部造船造兵監督官(上海駐在)
昭和17(1942)年10月5日 支那方面艦隊機関長
昭和17(1942)年11月1日 海軍大佐
昭和18(1943)年5月1日 海軍少将
昭和18(1943)年10月10日 軍令部出仕
昭和18(1943)年10月25日 海軍技術研究所総務部長
昭和19(1944)年4月20日 呉鎮守府機関長/呉海軍艦船部
昭和19(1944)年9月11日 呉鎮守府参謀副長/呉海軍艦船部
昭和20(1945)年1月25日 海軍艦政本部造船造兵監督官/東京監理官/東京監査官
昭和20(1945)年2月15日 海軍艦政本部造船造兵監督官/東京監理官/東京監査官/海軍航空本部造兵監督官
昭和20(1945)年8月10日 軍需省関東信越軍需監督部横浜支部長
昭和20(1945)年9月20日 予備役被仰付
昭和52(1977)年8月30日 死去 (84)