富士級戦艦 (日本海軍, 1896)

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富士級戦艦(ふじきゅうせんかん Fuji class battleships)は、日本海軍艦艇のタイプ。

概説

 明治半ば、日本外交の焦点は朝鮮半島だった。朝鮮半島の覇権をめぐって清国と対立を深めていた。実際、朝鮮半島を舞台とする小規模な衝突はいくつも起きていたのである。しかし国力の面で日本は清国の比ではなかった。その差が顕著に現れたのが海軍力である。清国は欧米先進国に当時としては最新の装甲艦を発注して保有していた。それが鎮遠級である。日本もこれに対抗すべく松島級などを発注したが松島級はせいぜい防護巡洋艦にすぎず、正面から鎮遠級に立ち向かうだけの能力はなかった。ちょうどその頃は帝国議会が設置されてまもないころで、議会では反政府勢力が多数を占めていた。この反政府的な議会の前に、海軍の軍備拡張計画は拒否され続けてきた。事態を憂慮した政府は明治天皇を担ぎ出した。もちろん、明治天皇といえども正面きって「予算を通せ」と横車を押すことはできない。天皇は自らの私費から一部を建艦予算として下賜したのである。この行動で議会の雰囲気は一変し海軍の予算は承認されてかねてから計画していた最新鋭戦艦を英国に発注した。これが富士級となる。しかし建艦計画の遅れは致命的だった。せっかくの富士級も起工される前に日清戦争の勃発となり戦争には間に合わなかった。日本海軍は明らかに劣勢な勢力で清国に立ち向かわざるを得なくなったが幸いに勝ちを収めることができた。
 富士が建造されたそのころはまさに英国で近代戦艦の基本形態が確立された時期であり、富士級はその標準形態をとっている。掛け値なしに世界でも有数の有力艦といってよい。富士級には後続艦と違って主砲の装填のためには首尾線上に砲塔を指向しなければならないとか、材質上の問題で水線帯の装甲厚が45センチにも達するなどの問題はあったが基本設計は同一である。後続艦と合わせて6隻のほぼ同一能力をもつ戦艦が揃ったことは艦隊運用上はかりしれない長所となった。日露戦争では富士級は聯合艦隊の第一艦隊第一戦隊として出征した。開戦早々旅順沖でロシア艦隊と砲戦を交えたが決定的な打撃を与えることができず、長く苦しい封鎖戦へと戦局は移った。日本は封鎖を確実にするため、ロシアはその日本艦隊に打撃を与えて封鎖を突破するためにさまざまな工夫をこらした。そのひとつが機雷である。日本もロシアも機雷を活用した。明治37年5月15日、旅順沖に敷設されていたロシアの機雷原に日本艦隊が突っ込んでしまった。八島と初瀬が相次いで触雷、初瀬はあっという間に轟沈、八島は辛うじて戦場を離れることができたが浸水が甚だしくついに沈没した。富士は黄海海戦や日本海海戦など多くの海戦に参加したが武運強く生き残った。明治末には第一線を離れて練習任務についた。ワシントン条約により武装を撤去された富士は一時運送艦となったが新設された練習特務艦として横須賀海岸に係留の身となる。のちには推進器も撤去されて運用術練習艦として使用され、戦後に除籍解隊された。

主要要目

排水量: 常備 12,320t (富士 12,533t)
長さ: 水線長 118.8m, 全長 125.5m
全幅: 22.4m (富士 22.2m)
喫水: 8.0m (富士 8.07m)
機関: 2軸 直立型3気筒三段膨張レシプロ 2基, 円缶 10基 (富士 14基) (石炭専焼), 14,000ihp
燃料: 石炭 1200t
速力: 18ノット
装甲: 水線帯 360-450mm, バーベット 230-360mm, ケースメイト 50-150mm, 甲板 62mm, 司令塔 360mm
兵装: 30cm砲 連装2基 4門, 15.2cm砲 単装10基 10門, 3ポンド砲 単装20基 20門, 2.5ポンド砲 単装4基 4門, 45cm魚雷発射管 5門
乗員: 637

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明26 富士 Fuji 英 Thames Iron Works 1894.08.01 1896.03.31 1897.08.17 1898.03.21 一等戦艦
1905.12.12 戦艦
1912.08.28 一等海防艦
1922.09.01 運送艦
1922.12.01 練習特務艦
1945.11.30 除籍
1948.08.15 解体完了
明26 八島 Yashima 英 Armstrong 1894.12.28 1896.02.28 1897.09.09 1898.03.21 一等戦艦
1904.05.15 戦没 (触雷)
1905.06.15 除籍
旅順沖