安宅級砲艦 (日本海軍, 1922)

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概説

 大正9年度計画で建造された大型河用砲艦で、同型艦はない。揚子江方面に派出されている河用砲艦部隊の旗艦として使用することを企図していたため、指揮通信能力の充実につとめまた対外的な配慮から外観に威容を示すことに意を用いた。そのため砲艦としては高い乾舷、直立したマストと煙突などが特徴的である。砲艦の艦名は名所旧跡から取られるが、はじめは勿来の関にちなんで「勿来」と命名されたが中国ではこれは「来るなかれ」と読まれるため建造中の大正10年10月11日に安宅と改められた。竣工後ただちに揚子江方面に派遣され、以後は修理などの期間を除いてその艦歴のほとんどを上海で過ごした。上海事変、支那事変では上海附近での戦闘を支援、太平洋戦争が起こると揚子江および中国大陸沿岸地域での船団護衛に従事した。日本の降伏により中国に接収され「安東」と命名されたが共産党の勝利により中共の手に移った。その後の消息は伝えられていない。

主要要目

排水量: 基準 725t, 常備 880t, 満載 1133t
長さ: 垂線間長 67.7m
全幅: 9.0m
喫水: 2.3m
機関: 2軸 直立式3気筒三段膨張レシプロ 2基, 2 ロ号艦本式水管缶(石炭専焼), 1700ihp
燃料: 石炭 235t
速力: 16ノット
航続力: 2500海里/12ノット
兵装: 12cm/45口径砲 単装2門, 8cm/40口径高角砲 単装2門, 6.5mm機関銃 6挺
乗員: 118

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
大9 安宅 Ataka 横浜船渠 1921.08.15 1922.04.11 1923.08.12 (二等砲艦) 1931.05.30 砲艦
1944.10.01 砲艦 (艦艇)
1947.05.03 除籍
戦後、中国へ引き渡し