大島級砲艦 (日本海軍, 1891)

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概説

 大島は摩耶級砲艦の改良型で、当時招聘中のフランスの著名な造船官エミール・ベルタンの設計により建造された。摩耶級とのもっとも大きな相違点は機関で、ほぼ同大の船体にもかかわらず出力が大幅に強化されたため、速力はかなり向上した。武装は摩耶級とほぼ同等である。全体の印象としてはフランス式の設計らしく洗練された艦影となった。日清戦争当時、大島は就役から2年そこそこの新鋭艦であったはずである。しかし不思議なことに、主要な海戦に大島の名前は出てこない。かろうじて開戦当時の西海艦隊に附属艦船として名前を見ることができる。このあたりの事情は詳らかでないが、何らかの不具合があったのかも知れない。明治27年10月14日に大島は西海艦隊から常備艦隊に移された。すでに黄海海戦は済んでおり、威海衛攻略などに参加したと思われるが、やはり当時の軍隊区分には大島の名はない。10年後、日露戦争の勃発にあたって大島は第三艦隊に配属されていた。第三艦隊はもともと対馬海峡の警備を主任務として聯合艦隊とは独立して編制されていたが開戦1月で聯合艦隊に編入され、旅順封鎖に充当されることになる。大島も旅順沖で封鎖任務についていたが濃霧の中、僚艦赤城が右舷に衝突、衝角のために水線下に大穴があいてたちまち転覆沈没した。

主要要目

排水量: 常備 630t
長さ: 垂線間長 53.5m
全幅: 8.0m
喫水: 2.75m
機関: 2軸 直立式3気筒三段膨張レシプロ 2基, 2 汽車缶(石炭専焼), 1200ihp
燃料: 石炭 140t
速力: 16ノット
兵装: 12cm速射砲 4門, 47mm砲 5門
乗員: 130

一覧

計画 艦名 建造所 起工 進水 就役 艦歴 記事
明22 大島 Oshima 小野浜造船所 1889.08 1891.09 1892.03.31 1898.03.21 二等砲艦
1904.05.18 喪失 (衝突)
1905.06.15 除籍
旅順沖
(赤城と衝突)