塩沢幸一

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塩沢幸一(しおざわ・こういち Shiozawa Koichi 明治16(1883)年3月5日 - 昭和18(1943)年11月17日)は、日本の海軍軍人海軍大将長野県出身。海軍兵学校第32期生(192名中2位)、海軍大学校第13期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治16(1883)年3月5日
明治37(1904)年11月14日 海軍少尉候補生 韓崎丸乗組
明治38(1905)年1月3日 朝日乗組
明治38(1905)年8月31日 海軍少尉
明治39(1906)年2月16日 姉川丸乗組
明治39(1906)年7月16日 乗組
明治40(1907)年8月5日 海軍砲術学校普通科学生
明治40(1907)年9月29日 海軍中尉
明治40(1907)年12月16日 海軍水雷学校普通科学生
明治41(1908)年4月20日 三笠乗組
明治42(1909)年4月1日 千早分隊長心得
明治42(1909)年10月11日 海軍大尉 千早分隊長
明治42(1909)年11月1日 相模分隊長
明治42(1909)年12月1日 海軍大学校乙種学生
明治43(1910)年5月23日 海軍砲術学校高等科学生
明治43(1910)年12月1日 横須賀予備艦隊参謀
明治44(1911)年1月23日 利根分隊長
明治44(1911)年12月1日 佐世保予備艦隊参謀
大正元(1912)年12月1日 海軍砲術学校教官/分隊長/海軍経理学校教官
大正2(1913)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正3(1914)年12月1日 海軍少佐
大正4(1915)年12月13日 海軍省軍務局局員(一課)
大正6(1917)年6月1日 連合王国駐在被仰付
大正6(1917)年10月2日 英国軍艦 Resolution 乗組
大正6(1917)年11月21日 英国軍艦 Royal Oak 乗組
大正7(1918)年10月10日 退艦
大正7(1918)年12月1日 在連合王国大使館附海軍武官補佐官
大正8(1919)年4月1日 連合王国駐在被仰付
大正8(1919)年12月1日 海軍中佐 命帰朝
大正9(1920)年4月13日 海軍教育本部部員(一部)
大正9(1920)年11月1日 第一艦隊参謀
大正9(1920)年12月17日 海軍大学校教官
大正12(1923)年3月1日 海軍省軍務局第二課長
大正12(1923)年12月1日 海軍大佐 海軍省軍務局第一課長
大正14(1925)年5月15日 古鷹艤装員長
大正15(1926)年3月31日 古鷹艦長
大正15(1926)年12月1日 在連合王国帝国大使館附海軍武官/造船造兵監督長
昭和2(1927)年4月5日 在連合王国帝国大使館附海軍武官海軍艦政本部造船造兵監督長
昭和3(1928)年12月10日 海軍少将 命帰朝
昭和4(1929)年6月1日 海軍軍令部出仕
昭和4(1929)年8月15日 第二艦隊司令部附
昭和4(1929)年9月6日 第二艦隊参謀長
昭和4(1929)年11月30日 第一艦隊参謀長/聯合艦隊参謀長
昭和5(1930)年12月1日 第一遣外艦隊司令官
昭和7(1932)年6月6日 海軍軍令部出仕
昭和7(1932)年10月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕/海軍軍事普及部委員長
昭和7(1932)年12月1日 鎮海要港部司令官
昭和8(1933)年11月15日 海軍中将
昭和9(1934)年1月17日 海軍航空本部
昭和10(1935)年12月2日 舞鶴要港部司令官
昭和11(1936)年12月1日 佐世保鎮守府司令長官
昭和12(1937)年12月1日 軍令部出仕
昭和13(1938)年2月1日 第五艦隊司令長官
昭和13(1938)年12月15日 軍令部出仕
昭和14(1939)年1月27日 海軍艦政本部長/海軍将官会議議員
昭和14(1939)年8月30日 軍事参議官
昭和14(1939)年11月15日 海軍大将
昭和15(1940)年9月5日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
昭和16(1941)年9月10日 軍事参議官
昭和18(1943)年11月17日 死去 (60)