吉田清風 (海軍中将)

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吉田清風(よしだ・きよかぜ、明治4年5月5日(1871年6月22日) - 昭和25(1950)年4月9日)は、日本の海軍軍人海軍中将鹿児島県出身。海軍兵学校第18期生海軍大学校第4期生

履歴

  • 明治24(1891)年7月17日、命海軍少尉候補生。補比叡乗組。
  • 明治25(1892)年5月20日、補千代田乗組。
  • 明治26(1893)年4月28日、補大和乗組。
  • 明治26(1893)年6月12日、補満珠乗組。
  • 明治27(1894)年3月1日、補海軍砲術練習所学生。
  • 明治27(1894)年4月18日、任海軍少尉
  • 明治27(1894)年6月6日、補運送船監督。(近江丸等乗組)
  • 明治28(1895)年2月20日、補八重山航海士。
  • 明治28(1895)年9月19日、補海軍砲術練習所学生。
  • 明治28(1895)年12月20日、補金剛分隊士。
  • 明治30(1897)年1月26日、補海軍水雷術練習所乙種教程学生。
  • 明治30(1897)年6月16日、補竹敷要港部第二水雷敷設隊分隊長心得。
  • 明治30(1897)年12月1日、任海軍中尉
  • 明治30(1897)年12月27日、任海軍大尉。補竹敷要港部第二水雷敷設隊分隊長。
  • 明治31(1898)年6月1日、補橋立水雷長兼分隊長。
  • 明治32(1899)年9月29日、補金剛航海長兼分隊長。
  • 明治32(1899)年12月4日、補金剛水雷長。
  • 明治33(1900)年8月11日、補海軍砲術練習所教官兼分隊長。
  • 明治33(1900)年9月1日、補磐手分隊長兼回航委員。連合王国出張被仰付。
  • 明治34(1901)年5月17日、帰着。
  • 明治34(1901)年11月13日、補竹敷要港部第三水雷艇隊艇長。
  • 明治35(1902)年7月17日、補海軍大学校甲種学生。
  • 明治36(1903)年9月26日、任海軍少佐
  • 明治36(1903)年12月28日、補第三艦隊参謀。
  • 明治38(1905)年12月20日、補海軍大学校甲種学生。
  • 明治39(1906)年7月6日、補海軍大学校教官兼副官。
  • 明治39(1906)年9月28日、任海軍中佐
  • 明治42(1909)年5月25日、補敷島副長。
  • 明治43(1910)年3月19日、補第二艦隊参謀。
  • 明治44(1911)年1月16日、補鞍馬副長兼横須賀海軍工廠艤装委員。
  • 明治44(1911)年3月1日、免兼横須賀海軍工廠艤装委員。(鞍馬副長)
  • 明治44(1911)年12月1日、任海軍大佐。補音羽艦長。
  • 大正元(1912)年12月1日、補第二艦隊参謀長。
  • 大正3(1914)年12月1日、補第二艦隊参謀長心得。
  • 大正4(1915)年2月1日、補海軍軍令部参謀兼臨時建築部部員。(海軍軍令部第二班長)航空術研究委員長被仰付。
  • 大正5(1916)年12月1日、任海軍少将。免航空術研究委員長。
  • 大正7(1918)年9月4日、補海軍軍令部出仕。
  • 大正7(1918)年9月9日、欧米出張被仰付。
  • 大正8(1919)年7月1日、補横須賀海軍航空隊司令。
  • 大正8(1919)年12月1日、補海軍軍令部出仕。
  • 大正9(1920)年1月12日、補第二遣外艦隊司令官。
  • 大正9(1920)年12月1日、任海軍中将
  • 大正10(1921)年4月4日、補海軍将官会議議員。
  • 大正10(1921)年8月1日、補馬公要港部司令官。
  • 大正10(1921)年12月26日、待命被仰付。
  • 大正11(1922)年12月26日、休職被仰付。
  • 大正12(1923)年3月31日、予備役被仰付。
  • 昭和8(1933)年5月5日、後備役被仰付。
  • 昭和13(1938)年5月5日、退役被仰付。

see also