吉田善吾

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

吉田善吾(よしだ・ぜんご Yoshida Zengo 明治18(1885)年2月14日 - 昭和41(1966)年11月14日)は、日本の海軍軍人海軍大将佐賀県出身。海軍兵学校第32期生(192名中12位)、海軍大学校第13期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治18(1885)年2月14日
明治37(1904)年11月14日 海軍少尉候補生 韓崎丸乗組
明治38(1905)年1月3日 春日乗組
明治38(1905)年8月31日 海軍少尉
明治39(1906)年5月10日 第五艇隊
明治39(1906)年8月7日 姉川乗組
明治39(1906)年11月26日 海軍砲術練習所学生
明治40(1907)年4月15日 海軍水雷術練習所学生
明治40(1907)年8月5日 朝露乗組
明治40(1907)年9月28日 海軍中尉
明治40(1907)年10月28日 橋立乗組
明治41(1908)年11月20日 海軍水雷学校
明治42(1909)年4月23日 練習艇隊
明治42(1909)年5月25日 横須賀敷設隊分隊長心得
明治42(1909)年10月11日 海軍大尉 横須賀敷設隊分隊長
明治42(1909)年12月1日 海軍大学校乙種学生
明治43(1910)年5月23日 海軍水雷学校高等科学生
明治43(1910)年12月1日 海軍水雷学校教官/第四艇隊艇長
大正2(1913)年4月1日 海軍水雷学校教官/第四艇隊艇長/第二艇隊艇長
大正2(1913)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正4(1915)年12月13日 海軍少佐 第三艦隊参謀
大正6(1917)年12月1日 横須賀鎮守府
大正7(1918)年4月25日 海軍水雷学校教官/海軍砲術学校教官
大正7(1918)年6月13日 海軍水雷学校教官
大正8(1919)年11月20日 第一水雷戦隊参謀
大正8(1919)年12月1日 海軍中佐
大正9(1920)年6月3日 練習艦隊参謀
大正10(1921)年5月12日 海軍教育本部部員
大正12(1923)年4月1日 海軍省教育局局員
大正12(1923)年11月10日 海軍省教育局第二課長
大正12(1923)年12月1日 海軍大佐
大正13(1924)年3月25日 平戸艦長
大正13(1924)年12月1日 舞鶴要港部参謀長
大正14(1925)年4月15日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
大正14(1925)年5月15日 海軍省軍務局第一課長
昭和2(1927)年12月1日 金剛艦長
昭和3(1928)年12月10日 陸奥艦長
昭和4(1929)年11月30日 海軍少将 海軍軍令部参謀(二班長)
昭和6(1931)年12月1日 第一艦隊参謀長/聯合艦隊参謀長
昭和8(1933)年5月20日 聯合艦隊参謀長/第一艦隊参謀長
昭和8(1933)年9月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和8(1933)年9月15日 海軍省軍務局長/海軍将官会議議員
昭和9(1934)年11月15日 海軍中将
昭和10(1935)年12月2日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和11(1936)年2月1日 練習艦隊司令官
昭和11(1936)年12月1日 第二艦隊司令長官
昭和12(1937)年12月1日 聯合艦隊司令長官/第一艦隊司令長官
昭和14(1939)年8月30日 海軍大臣
昭和15(1940)年9月5日 海軍省出仕
昭和15(1940)年11月15日 海軍大将 軍事参議官
昭和17(1942)年11月10日 支那方面艦隊司令長官
昭和18(1943)年12月1日 軍事参議官
昭和18(1943)年12月14日 軍事参議官海軍大学校
昭和19(1944)年3月15日 軍事参議官
昭和19(1944)年5月3日 横須賀鎮守府司令長官/海軍将官会議議員
昭和19(1944)年8月2日 軍事参議官
昭和20(1945)年6月1日 予備役被仰付
昭和41(1966)年11月14日 死去 (81)

在任