占守級海防艦 (日本海軍, 1939)

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占守級海防艦(しむしゅきゅうかいぼうかん Shimushu class escorts)。基本計画番号 E15

概説

 明治9年に千島樺太交換条約により千島諸島全域を領土としていたものの、日本ではあまり北方警備に対する関心は高くなかった。むろん、ロシアの南下は官民共通の脅威ではあったが、その経路はむしろ満洲から朝鮮へと向かっており、千島方面の研究はなおざりにされていた。ところが日露戦争の結果、ロシア沿海州方面での漁業利権を獲得して以来、北方警備の必要性が出漁する漁船の保護という具体的な任務をもって表われてきた。この任務には、日露戦争で活躍していた装甲巡洋艦から格下げされた海防艦が主に充当されてきた。しかし、昭和10年頃になるとこれら海防艦はいずれも艦齢30年を越え、北方の厳しい環境で警備に従事するには力不足となりつつあり、代艦が早急に求められた。昭和12年、第三次軍備充実計画により北方警備のための海防艦4隻の建造が認められた。しかし、海軍当局には第三次計画の艦艇設計のために海防艦の設計までは手がまわらず、基本設計は三菱重工艦船計画課に委託した。海軍側では、戦時急造すべき護衛艦艇のプロトタイプとして建造するつもりで、しかも予算の関係からもできるだけ簡単な構造とするつもりでいたらしいが、その意図はうまく伝わらず、しかも三菱側では初めて海軍から設計を委託されたことから必要以上に注意を払って設計にあたり、結果として非常に凝った構造となって、建造工数は10万工数に達した。ほぼ同時期に建造された、約2倍大の艦隊型駆逐艦の工数は12万~15万工数程度であったというから、いかに手間のかかった設計であったかがわかろう。船体は駆逐艦式の船首楼型船型であったが、船首楼甲板にのりあげた波が直接艦橋に激突しないように、船首楼甲板と艦橋のあいだに一段低いウェルデッキを設けていた。これは睦月型以前の一等駆逐艦で用いられていた手法である。船体の水線部には流氷による損傷を防ぐために12ミリの厚さの甲鈑を装備し、ボイラー不要のディーゼル推進であるにもかかわらず暖房用のボイラーをわざわざ別に装備し、荒天時の船体前後の交通の便のために上甲板上の構造物は前後連続して設けられ、探照灯の後方射界を確保するために煙突の上部は絞ってあるという具合である。兵装は12センチ平射砲を前部に1門、後部に背負式に2門装備し、対潜兵装としては爆雷投射器(Y砲)1基、爆雷18発を備えていたが、この程度の数では威嚇以上のものにはなり得ない。結局、対潜対空装備ともに非常に貧弱といわざるを得ず、この占守級をプロトタイプにして真の対空対潜護衛艦を作り上げるには非常な苦労がともなったことは想像に難くない。ただし、これを設計を担当した三菱の責にするのは酷であろう。海軍側にも、重要な艦種であるとの認識があれば設計を外部に任せて知らぬ顔をしている筈もなく、かつ戦時量産のために配慮することという要求を三菱側に伝えた形跡もない。また、かくも凝った設計をそのまま受け入れており、建造後も苦情を申し入れたというような話は聞かない。発注者側として、海軍がまず第一に責任を負うべきであろう。
 占守級の建造当時、海防艦といえばかつての戦艦や巡洋艦を格下げしたものであった。したがって、立派に軍艦の一種であって、その艦長は大佐もしくは中佐、艦種には菊花紋章を戴き、駆逐艦や潜水艦が持たない御真影も奉安していた。軍艦相応の装備をするために(艦長室の造作など)工数が余計にかかったという側面もあるのである。しかし、その排水量は千トン弱、駆逐艦の半分にも満たず、従って少佐が艦長(正確には駆逐艦長)である駆逐艦と行きあって、欠礼されたという逸話もある。本来は少佐が指揮官である駆逐艦の側から先に敬礼しなければならないのだが、相手が小さかっただけに高をくくっていたら実は海防艦の艦長は大佐で、気付いた時には敬礼の時期を逸していたらしい。完成後の使用実績は良好で、南方への船団護衛にも用いられたが、やはり北方での行動が多かった。昭和17年には海防艦が軍艦から外され、それ相応に艦内の艤装も簡略化された。昭和19年に石垣が、千島中部松輪島沖で潜水艦に撃沈されているが、残る3隻は大戦を生き残った。

主要要目

排水量: 基準 860t, 公試 1004t
長さ: 垂線間長 72.5m, 水線長 76.2m, 全長 77.72m
全幅: 9.10m
喫水: 3.05m
機関: 2軸 艦本式22号10型ディーゼル 2基, 4,500bhp
速力: 19.7ノット
燃料: 重油 220トン
航続力: 8000浬/16ノット
兵装: 12cm/45口径砲 単装砲3基 3門, 25mm対空機銃 連装2基 4基, 九四式爆雷投射機 1基, 三型爆雷装填台 1基, 爆雷投下台 6基, 九六式爆雷 18
乗員: 147

一覧

計画 艦名 建造 起工 進水 就役 艦歴 記事
昭12 占守 Shimushu 玉造船所 1938.11.29 1939.12.13 1940.06.30 (海防艦) 1942.07.01 海防艦 (艦艇)
1945.10.05 除籍
1945.12.01 特別輸送艦
1947.07.05 ソ連へ引き渡し
昭12 八丈 Hachijo 佐世保工廠 1939.08.03 1940.04.10 1941.03.31 (海防艦) 1942.07.01 海防艦 (艦艇)
1945.11.30 除籍
1948.04 解体
昭12 国後 Kunashiri 日本鋼管 1939.03.01 1940.05.06 1940.10.03 (海防艦) 1942.07.01 海防艦 (艦艇)
1945.10.05 除籍
1945.12.01 特別輸送艦
1946.06.04 喪失 (座礁)
1946.08 - 1947.07 解体
御前崎
昭12 石垣 Ishigaki 玉造船所 1939.08.15 1940.09.14 1941.02.15 (海防艦) 1942.07.01 海防艦 (艦艇)
1944.05.31 戦没 (被雷)
1944.07.10 除籍
千島松輪島沖
(米潜 Herring (SS-233))