保科正之

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保科正之(ほしな・まさゆき、慶長16年5月7日(1611年6月17日) - 寛文12年12月8日(1673年1月25日))は、日本の武将。陸奥会津藩主。江戸幕府第2代征夷大将軍徳川秀忠四男。幼名は幸松(こうまつ)。

履歴

  • 慶長16年5月7日、城外で生まれる
  • 慶長18年3月、性見尼と対面、田安第で養わる
  • 元和3年、保科正光の養子となり保科氏を称し、信濃高遠城に移る
  • 寛永6年6月、徳川家光と対面
  • 寛永8年11月12日、保科正光遺領信濃高遠城3万石を襲封
  • 寛永9年12月28日、従四位下肥後守左近衛権中将
  • 寛永11年7月28日、侍従
  • 寛永13年7月21日、出羽山形城に転じ、20万石を領す
  • 寛永14年、保科正光の遺跡を実子保科正貞に譲る
  • 寛永16年正月、政事を預かる
  • 正保元年7月4日、陸奥会津城に転じ、23万石を領す
  • 寛文9年4月27日、隠居
  • 寛文12年12月18日、卒去。63歳。土津霊神

在任

親族

尊属

配偶