丸茂邦則

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丸茂邦則(まるも・くにのり Marumo Kuninori 明治24(1891)年10月2日 - 昭和60(1985)年6月24日)は、日本の海軍軍人海軍中将長野県出身。海軍兵学校第40期生(144名中42位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治24(1891)年10月2日
明治45(1912)年7月17日 海軍少尉候補生 宗谷乗組
大正2(1913)年5月1日 鹿島乗組
大正2(1913)年12月1日 海軍少尉 三笠乗組
大正3(1914)年12月1日 海軍砲術学校普通科学生
大正4(1915)年5月26日 海軍水雷学校普通科学生
大正4(1915)年12月13日 海軍中尉 安芸乗組
大正5(1916)年12月1日 第一艇隊
大正6(1917)年6月1日 佐世保鎮守府
大正6(1917)年9月1日 乗組
大正6(1917)年10月13日 第二特務艦隊司令部附
大正7(1918)年9月10日 利根乗組
大正7(1918)年12月1日 海軍大尉 利根分隊長
大正8(1919)年12月1日 海軍砲術学校高等科学生
大正9(1920)年12月1日 比叡分隊長
大正10(1921)年1月31日 沖風砲術長/分隊長
大正10(1921)年7月11日 横須賀鎮守府
大正10(1921)年9月1日 太刀風艤装員
大正10(1921)年9月17日 太刀風砲術長/分隊長
大正11(1922)年8月19日 日進副砲長/分隊長
大正11(1922)年12月1日 伊勢副砲長/分隊長
大正12(1923)年12月1日 日向副砲長/分隊長
大正13(1924)年12月1日 海軍少佐 海軍兵学校教官/監事
大正15(1926)年3月27日 八雲乗組
昭和2(1927)年2月1日 八雲副砲長
昭和2(1927)年4月1日 横須賀鎮守府
昭和2(1927)年6月25日 山城副砲長/分隊長
昭和2(1927)年12月1日 加古砲術長/分隊長
昭和3(1928)年12月10日 第二艦隊参謀
昭和4(1929)年11月5日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和4(1929)年11月30日 海軍中佐
昭和5(1930)年12月1日 海軍省教育局局員
昭和8(1933)年11月15日 海軍大佐 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和8(1933)年12月11日 軍令部出仕(欧米各国出張被仰付)
昭和9(1934)年8月11日 帰朝
昭和9(1934)年8月20日 横須賀海軍航空隊教官
昭和10(1935)年11月15日 海軍省教育局第二課長
昭和12(1937)年12月15日 足柄艦長
昭和13(1938)年6月31日 横須賀鎮守府
昭和13(1938)年10月20日 呉鎮守府
昭和13(1938)年10月22日 呉海軍人事部長/呉鎮守府人事長
昭和14(1939)年4月1日 呉海軍人事部長/呉鎮守府人事長/名古屋地方海軍人事部
昭和14(1939)年4月20日 呉海軍人事部長/呉鎮守府人事長
昭和14(1939)年11月15日 海軍少将
昭和16(1941)年11月5日 軍令部出仕
昭和16(1941)年11月20日 第四艦隊司令部附
昭和16(1941)年12月1日 第十八戦隊司令官
昭和17(1942)年6月11日 舞鶴鎮守府
昭和17(1942)年9月1日 横須賀警備隊司令官/横須賀第一海兵団
昭和17(1942)年12月21日 在満洲帝国帝国大使館附海軍武官海軍艦政本部造船造兵監督官
昭和18(1943)年11月1日 海軍中将
昭和20(1945)年7月15日 在満洲帝国帝国大使館附海軍武官海軍艦政本部造船造兵監督長
昭和22(1947)年7月10日 復員
昭和60(1985)年6月24日 死去 (93)