与倉守之助

提供: wiki31ja
移動: 案内検索

与倉守之助(よくら・もりのすけ Yokura Morinosuke 明治10(1877)年12月1日 - 大正11(1922)年6月23日)は、日本の海軍軍人海軍機関少将東京都出身。海軍機関学校第7期生(20名中2位)。

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治10(1877)年12月1日
明治33(1900)年4月23日 海軍少機関士候補生 千代田乗組
明治34(1901)年1月25日 海軍少機関士 浅間乗組
明治35(1902)年1月18日 金剛乗組
明治35(1902)年9月1日 海軍水雷術練習所学生
明治35(1902)年10月6日 海軍中機関士
明治35(1902)年12月23日 舞鶴水雷団
明治36(1903)年2月20日 須磨乗組
明治36(1903)年9月26日 秋津洲分隊長心得
明治37(1904)年7月13日 海軍大機関士 秋津洲分隊長
明治37(1904)年11月26日 富士分隊長
明治38(1905)年3月11日 横須賀鎮守府
明治38(1905)年9月23日 海軍機関学校監事
明治38(1905)年11月4日 海軍機関学校教官/監事
明治39(1906)年1月26日 海軍機関大尉
明治39(1906)年7月12日 海軍大学校機関科乙種学生
明治41(1908)年4月6日 海軍大学校専修学生
明治42(1909)年5月19日 横須賀海軍工廠検査官/造兵部部員
明治42(1909)年6月1日 横須賀海軍工廠検査官/造兵部部員/造機部部員
明治42(1909)年10月11日 海軍機関少佐
明治43(1910)年3月3日 横須賀海軍工廠検査官/造兵部部員/造機部部員/海軍水雷学校教官
明治43(1910)年12月1日 造兵監督官(連合王国出張被仰付)
大正2(1913)年9月6日 命帰朝
大正2(1913)年12月1日 海軍機関中佐
大正3(1914)年1月15日 海軍艦政本部部員(一部)
大正3(1914)年5月27日 海軍艦政本部部員(一部)/海軍大学校教官
大正4(1915)年10月1日 海軍技術本部部員(三部)/海軍大学校教官
大正5(1916)年9月29日 造兵監督官(アメリカ合衆国出張被仰付)
大正6(1917)年9月15日 造船造兵監督官
大正6(1917)年12月1日 海軍機関大佐
大正7(1918)年11月1日 命帰朝
大正8(1919)年2月1日 造兵監督官
大正8(1919)年6月1日 海軍技術本部第三部長
大正9(1920)年10月1日 海軍艦政本部第三部長
大正9(1920)年11月25日 海軍艦政本部第三部長/造船造兵監督官(アメリカ合衆国出張被仰付)
大正10(1921)年5月20日 命帰朝
大正10(1921)年6月17日 海軍艦政本部第三部長
大正11(1922)年5月30日 待命被仰付
大正11(1922)年6月23日 海軍機関少将 死去 (44)