三並貞三

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三並貞三(みつなみ・ていぞう Mitsunami Teizo 明治22(1889)年4月26日 - 昭和39(1964)年7月17日)は、日本の海軍軍人海軍少将大阪府出身。海軍兵学校第37期生(179名中30位)、海軍大学校第20期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治22(1889)年4月26日
明治42(1909)年11月19日 海軍少尉候補生 阿蘇乗組
明治43(1910)年7月16日 八雲乗組
明治43(1910)年12月1日 朝日乗組
明治43(1910)年12月15日 海軍少尉
明治44(1911)年4月1日 丹後乗組
明治44(1911)年8月4日 海軍砲術学校普通科学生
明治44(1911)年12月20日 海軍水雷学校普通科学生
明治45(1912)年4月24日 河内乗組
大正元(1912)年12月1日 海軍中尉
大正2(1913)年12月1日 神風乗組
大正3(1914)年12月1日 横須賀海兵団
大正4(1915)年12月13日 海軍大尉 海軍大学校乙種学生
大正5(1916)年6月1日 海軍砲術学校高等科学生
大正5(1916)年12月1日 敷島分隊長
大正6(1917)年6月1日 佐世保鎮守府
大正6(1917)年9月1日 乗組
大正7(1918)年5月1日 乗組
大正7(1918)年11月1日 第二特務艦隊司令部附
大正7(1918)年12月1日 伊吹分隊長
大正8(1919)年4月1日 伊吹副砲長/分隊長
大正8(1919)年12月1日 金剛副砲長/分隊長
大正9(1920)年1月30日 生駒副砲長/分隊長/海軍砲術学校教官
大正9(1920)年2月25日 日向副砲長/分隊長
大正9(1920)年12月1日 海軍大学校甲種学生
大正10(1921)年12月1日 海軍少佐
大正11(1922)年12月1日 佐世保海兵団分隊長/教官
大正12(1923)年5月15日 霞ヶ浦海軍航空隊分隊長/教官
大正13(1924)年12月1日 霞ヶ浦海軍航空隊分隊長
大正14(1925)年4月1日 海軍軍令部参謀(一班二課)
大正15(1926)年11月15日 能登呂副長
昭和2(1927)年12月1日 海軍中佐 聯合艦隊司令部附
昭和3(1928)年4月1日 第一航空戦隊参謀
昭和3(1928)年12月10日 横須賀鎮守府
昭和4(1929)年4月1日 第一航空戦隊参謀
昭和4(1929)年11月15日 海軍大学校教官
昭和6(1931)年12月1日 海軍大佐 能登呂特務艦長
昭和7(1932)年12月1日 鳳翔艦長
昭和8(1933)年10月20日 海軍航空廠総務部長
昭和9(1934)年11月15日 加賀艦長
昭和11(1936)年12月1日 横須賀海軍航空隊司令
昭和12(1937)年7月11日 第二聯合航空隊司令官
昭和12(1937)年12月1日 海軍少将
昭和12(1937)年12月15日 第二航空戦隊司令官
昭和13(1938)年9月1日 軍令部出仕
昭和14(1939)年11月15日 海軍艦政本部造船造兵監督長
昭和15(1940)年9月15日 軍令部出仕
昭和15(1940)年12月16日 待命被仰付
昭和15(1940)年12月21日 予備役被仰付
昭和16(1941)年9月20日 海軍省事務嘱託
昭和17(1942)年5月31日 解嘱託
昭和18(1943)年12月10日 充員召集
昭和18(1943)年12月20日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和20(1945)年9月1日 充員召集解除
昭和39(1964)年7月17日 死去 (75)