一宮義之

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一宮義之(いちみや・よしゆき Ichimiya Yoshiyuki 明治30(1897)年1月1日 - 昭和23(1948)年11月12日)は、日本の海軍軍人海軍少将徳島県出身。海軍兵学校第44期生(95名中1位)、海軍大学校第28期生

履歴

日付 階級 その他身分 補職/任官等
明治30(1897)年1月1日
大正5(1916)年11月22日 海軍少尉候補生 常磐乗組
大正6(1917)年8月17日 扶桑乗組
大正6(1917)年12月1日 海軍少尉
大正7(1918)年11月9日 吾妻乗組
大正8(1919)年1月14日 待命被仰付
大正8(1919)年4月15日 呉鎮守府
大正8(1919)年12月1日 海軍中尉 海軍水雷学校普通科学生
大正9(1920)年5月21日 海軍砲術学校普通科学生
大正9(1920)年12月1日 龍田分隊長心得
大正10(1921)年5月20日 八雲乗組
大正11(1922)年4月8日 乗組
大正11(1922)年12月1日 海軍大尉 海軍砲術学校高等科学生
大正12(1923)年12月1日 比叡分隊長
大正13(1924)年11月20日 海軍兵学校教官/監事
大正15(1926)年12月1日 伊勢分隊長
昭和2(1927)年12月1日 海軍少佐 軍事参議官副官(中将百武三郎附属)/海軍軍令部出仕(一班二課)
昭和3(1928)年5月16日 軍事参議官副官(大将安保清種附属)/海軍軍令部出仕(一班二課)
昭和3(1928)年12月10日 海軍大学校甲種学生
昭和5(1930)年12月1日 海軍軍令部出仕/海軍省出仕
昭和5(1930)年12月15日 海軍省軍務局局員(一課)
昭和7(1932)年11月15日 アメリカ合衆国駐在
昭和7(1932)年12月1日 海軍中佐
昭和8(1933)年10月1日 在アメリカ合衆国帝国大使館附海軍武官補佐官
昭和9(1934)年11月15日 命帰朝
昭和10(1935)年2月12日 軍令部出仕(三部五課)
昭和10(1935)年12月2日 軍令部部員(二部三課)
昭和12(1937)年11月10日 横須賀鎮守府
昭和12(1937)年12月1日 海軍大佐
昭和13(1938)年1月30日 厳島艦長
昭和13(1938)年7月22日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和13(1938)年8月20日 海軍省副官
昭和15(1940)年11月5日 軍令部出仕/海軍省出仕(軍務局)
昭和16(1941)年7月5日 足柄艦長
昭和17(1942)年9月25日 軍令部出仕
昭和17(1942)年10月25日 第五艦隊司令部附
昭和17(1942)年11月6日 第五艦隊参謀長
昭和18(1943)年3月19日 軍令部出仕/海軍省出仕(兵備局)
昭和18(1943)年5月1日 海軍少将
昭和18(1943)年5月18日 第十二航空艦隊参謀長
昭和18(1943)年8月5日 北東方面艦隊参謀長/第十二航空艦隊参謀長
昭和19(1944)年12月5日 第十二航空艦隊参謀長
昭和20(1945)年2月6日 軍令部出仕/海軍省出仕
昭和20(1945)年5月5日 海軍省軍需局総務部長
昭和20(1945)年10月25日 海軍省出仕
昭和20(1945)年11月30日 予備役被仰付
充員召集
昭和20(1945)年12月1日 第二復員省出仕
昭和21(1946)年3月31日 佐世保地方復員局長官
昭和21(1946)年6月15日 充員召集解除 佐世保地方復員局
昭和22(1947)年4月21日 佐世保地方復員局長/佐世保地方復員局人事部長
昭和23(1948)年1月1日 佐世保地方復員局残務処理部長/総務課長事務取扱
昭和23(1948)年2月5日 復員庁第二復員局残務処理部
昭和23(1948)年2月25日
昭和23(1948)年11月12日 死去 (51)