秋月 一等駆逐艦



秋月(竣工時)

排水量基準 2701t, 公試 3430t, 満載 3700t
長さ垂線間長 126.0m, 水線長 132.0m, 全長 134.2m
全幅11.60m
喫水4.15m
機関2軸減速タービン, 3缶, 52,000shp
燃料重油 1097t
速力33ノット
航続力8300海里/18ノット
兵装10cm/65口径両用砲 連装4基 8門, 25mm対空機銃 4門, 61cm魚雷発射管 四連装1基 4門,
爆雷 72発(凉月 34発)
乗員300



艦名 計画 建造 起工 進水 竣工
秋月Akizuki四(昭14)舞鶴工廠1940. 7.301941. 7. 21942. 6.11一等駆逐艦1944.10.25 戦没
(航空攻撃/エンガノ岬沖)
[20.29N, 126.30E]
1944.12.10 除籍
照月Teruzuki四(昭14)三菱 長崎1940.11.131941.11.211942. 8.31一等駆逐艦1942.12.12 戦没
(交戦/ガ島附近)
[07.50S, 157.30E]
1943. 1.20 除籍
凉月Suzutsuki四(昭14)三菱 長崎1941. 3.151942. 3. 91942.12.29一等駆逐艦1945.11.20 除籍
1945 解体
初月Hatsutsuki四(昭14)舞鶴工廠1941. 7.251942. 4. 31942.12.29一等駆逐艦1944.10.25 戦没
(交戦/エンガノ岬沖)
[20.24N, 126.20E]
1944.12.10 除籍
新月Nizuki四(昭14)三菱 長崎1941.12. 81942. 6.291943. 3.31一等駆逐艦1943. 7. 6 戦没
(交戦/中部ソロモン)
[07.57S, 157.12E]
1943. 9.10 除籍
若月Wakatsuki四(昭14)三菱 長崎1942. 3. 91942.11.241943. 3.31一等駆逐艦1944.11.11 戦没
(航空攻撃/オルモック湾)
[10.50N, 124.35E]
1945. 1.10 除籍
霜月Shimotsuki急(昭17)三菱 長崎1942. 7. 61943. 4. 71944. 3.31一等駆逐艦1944.11.25 戦没
(被雷/アナンバス諸島沖)
[02.21N, 107.20E]
1945. 1.10 除籍
冬月Fuyuzuki急(昭17)舞鶴工廠1943. 5. 81944. 1.201944. 5.25一等駆逐艦1945.11.20 除籍
1946. 2.25 特別輸送艦
1948 解体
花月Hanatsuki昭18舞鶴工廠1944. 2.101944.10.101944.12.26一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1947. 8.28 米へ(DD-934)
1948 解体
宵月Yoizuki昭18浦賀船渠1943. 8.251944. 9.251945. 1.31一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 8.29 中国へ(汾陽)
春月Harutsuki急(昭17)佐世保工廠1943.12.231944. 8. 31944.12.28一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 8.28 ソ連へ
夏月Natsuzuki昭18佐世保工廠1944. 5. 11944.12. 21945. 4. 8一等駆逐艦1945.10. 5 除籍
1945.12. 1 特別輸送艦
1947. 9. 3 英へ
1948 解体
満月Michitsuki五(昭16)佐世保工廠1945. 1. 3--1945. 3 工事中断
1948 未成解体
清月Kiyotsuki昭18舞鶴工廠---建造取止
大月Ozuki昭18三菱 長崎---建造取止
羽月Hazuki昭18舞鶴工廠---建造取止




秋月級は一等駆逐艦に類別されているが、当初は駆逐艦とは別個の「艦隊防空艦」として計画されてきた。その存在意義は新設計の長砲身10センチ高角砲にある。この高角砲は最大射高1万1千メートル、初速毎秒千メートルという高初速砲で当時の主力高角砲だった89式12.7センチ砲の能力を大きく凌いでいた。秋月級では、これを連装砲塔に収めて前後に2基ずつ背負式に配置し、合計8門の高角砲で空母を守ろうというのである。空母随伴のために速力は33ノットに、航続力は8000浬に設定された。ところが、艦隊決戦至上の風潮の強い当時、これだけの有力艦を空母直衛だけに用いるのは勿体ないとの意見が持ち上がり、妥協案として船体中部に4連装魚雷発射管を1基搭載することになった。こうして秋月級は駆逐艦に類別されてしまった。これだけ欲張った性能を盛り込んだため基準排水量は2700トンに達し、一昔前の駆逐艦の倍の大きさになった。
秋月級は昭和17年なかばから戦線に投入され、早速ソロモン海域に姿を表した。当時この海域で秋月に遭遇した米軍パイロットは「強力な防空艦の出現」を報じていたという。秋月級は本来駆逐艦として計画されたものではなかったが、太平洋戦争の形態ではもっとも有効な駆逐艦であったかも知れない。その証拠に、秋月級は開戦当時から終戦まで一貫して建造が続けられた唯一の駆逐艦である。しかしその過程で建造は簡易化され、戦時計画艦は直線材を多用している。
結局、終戦までに12隻が竣工し、うち半数の6隻が戦没している。残った6隻のうち2隻は連合国に賠償の一部として引き渡された。ソ連あるいは中国で1960年代まで使用されていたと伝えられる。


秋月(1942)- 模型・(株)青島文化教材社、制作・三十一



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Copyright © Hiroshi Nishida (Misohito), 1999.
Illustration by courtesy of Tensho