香取 練習巡洋艦




排水量基準 5890t, 公試 6180t
長さ垂線間長 123.5m, 水線長 129.77m
全幅15.95m
喫水5.75m
機関2軸減速タービン+ディーゼル, 3缶, 8000hp
速力18ノット
装甲甲板 50mm
兵装14cm/50口径砲 連装2基 4門, 12.7cm/40口径対空砲 連装1基 2門,
25mm対空機銃 4門, 53cm魚雷発射管 連装2基 4門, 航空機 1機
乗員?



艦名 計画 建造 起工 進水 竣工
香取Katori昭13三菱 横浜1938. 8.241939. 6.171940. 4.20練習巡洋艦1944. 2.17 戦没
(交戦/トラック沖)
[07.45N, 151.20E]
1944. 3.31 除籍
鹿島Kashima昭13三菱 横浜1938.10. 61939. 9.251940. 5.31練習巡洋艦1945.10. 5 除籍
1947 解体
香椎Kashii四(昭14)三菱 横浜1940. 5.301941. 2.141941.12. 5練習巡洋艦1945. 1.12 戦没
(航空攻撃/仏印沖)
[13.50N, 109.20E]
1945. 3.20 除籍
橿原Kashiwara五(昭16)三菱 横浜1941. 8.23--1941 建造中止




毎年、海軍兵学校を卒業した少尉候補生、機関学校を卒業した機関少尉候補生、経理学校を卒業した主計少尉候補生、そして新たに軍医に任官した新任軍医少尉および軍医中尉が乗り組んで遠洋航海を行なっていた。遠洋航海先は欧米やオーストラリアなどの外国で、世界一周というケースもあった。この遠洋航海のために編成されているのが練習艦隊である。練習艦隊を構成する艦は時代によって変わったが、おおむね第一線任務から外された老朽艦が充当されてきており、大正から昭和にかけては日露戦争直前に建造された装甲巡洋艦が使用されてきた。 ところが技術の発達にともない、装甲巡洋艦の装備は士官養成には適さないものになりつつあった。例えばそのレシプロ機関はすでに時代遅れとなっており、主要軍艦の機関はみなタービン機関にとってかわられていた。このため、早くから遠洋航海任務に適した専用艦の建造が求められていたが、予算の都合上から第一線艦艇が優先され、練習艦の新造は先送りされてきた。ようやく遠洋航海専用艦として4隻の練習巡洋艦の建造が認められた。香取級がこれである。
香取級の建造にあたっては、遠洋航海に適した要目であることはもちろん、建造予算の圧縮も要求されていた。そのために香取級では、商船構造の船体設計とされた。速力もディーゼル機関を使用して18ノットを発揮したに過ぎなかった。しかし、長距離航海に適した居住性の良さ、多数の候補生を乗艦させることのできる艦内容積の余裕、外国に寄港し賓客を迎えた時に恥ずかしくないだけの内装、機銃から魚雷までの代表的な兵装を装備して候補生が実操作できるようにしたこと、などの練習艦としての考慮がなされた。
最初の2隻が竣工するやただちに練習艦隊に編入、遠洋航海へと出発したが、情勢の悪化にともない遠洋航海は中止、練習艦隊が解隊されて結局この年の候補生は日本近海を巡航したのみで終った。
こうして、香取級はその目的たる練習艦として使用されることはほとんどなく、ただその艦内容積の余裕を利用して艦隊司令部として使用されることが多かった。香取鹿島と開戦後竣工した香椎は、いずれも泊地に停泊したまま司令部を座乗させて麾下部隊を指揮する形で戦争に参加していたが、香取は昭和19年2月のトラック空襲時に米艦載機の攻撃を受けて沈没。香椎は船団護衛部隊旗艦として内地に向かう途次、南支那海でやはり米艦載機のために喪失、わずかに鹿島だけが大戦を生き残って復員輸送に使用されたのち解体される。4番艦の橿原は建造中止となった。


香椎(1942)- 模型・(株)青島文化教材社、制作・三十一



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